瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

阿知波五郎「墓」(22)

・「七月二十三日。」条(3)密室の時間と照明
 昨日の続きで、5日め「七月二十三日。」条の3段落めの中盤。430頁1~3行め、

(略)。折角覚えて居た/日も記憶の中で戸迷い、腕時計が停まって居るが、そのねじを巻く元気もない。うつら、うつら……そ/してその中で園の大卓子の上で三階の珍味をたべる夢ばかりである。(略)


 時計のことは、前日、4日め「七月二十二日。」条にも次のように見えていた。428頁11~12行め、

 眼を覚す――腕時計が十一時を示して居るが、セコンドは動いて居ない。あわてて、ねじを巻く。/午後三時頃であろう。


 ここで、この書庫には、壁掛け時計や置き時計等もないらしいことが分かる。渋谷の机があって、普段、開館期間中、長くはないのかも知れないが、ある程度の時間を過ごしているはずなのだけれども。
 それから、外の雨や雷、紙芝居やボールが壁に当たる音などは聞こえているのだが、光は差していないらしいことも、分かる。
 2016年10月11日付(06)に抄録した、1日め「七月十九日」の閉じ込められる場面には、420頁3行め「だんだん書庫の中が暗くなって行く……」とあって、その後はどうなったかと云うと、8~9行め、

 鉄扉はがたんと鈍い音がして、最後の戸締りが完全にされて了う。
 何にも見えない。真の闇である。

と云うことになる。そして、12~15行め、

 窓の鉄扉のボタンは外部から切ってある。大声を挙げても外部に漏れることはない。
 しまは手探りで、らせん階段を下りた。一段一段と足でまさぐり乍らながい間かかって下へ下りた。/そして、階下の壁をまさぐりやっと電灯のスウィッチを発見して、これを点じた。
 中央卓子の上に、見事なシャンデリアが、一時に煌々と点ぜられる――


 この続きは2016年11月1日付(08)に引用済みである。――どうやら、完全に閉鎖されて、光も差さない、そして外部の音は聞こえるのに、内側の音は外部に漏れない構造になっているようだ。しかし2016年10月11日付(06)及び6月15日付(17)に見たように「籔蚊」は侵入している。いや、6月12日付(14)に見た「手洗」の水で繁殖していたのかも知れない。「手洗」があるから排泄物は問題になっていないが、しかし「手洗」には普通、窓があるのではないか。窓と云うほどの大きさでなくとも、光が入る程度の通気口が。
 電気は切られていないから照明は点り、そして手洗で水を使うことも出来る。しかし自由になるのはこれくらいである。外光は全く差し込まず、時計もないから、持ち込んだ腕時計のねじを巻き忘れると時間も分からなくなってしまう。昼か夜かも、外から聞こえて来る音から見当を付けるしかなくて、この時点では遺書や日記などを書いていないから、日付もあやふやになってしまう。
 しかし、虫が繁殖するような環境、水があって暑くて、それで稀覯書の詰まった書庫を1ヶ月も閉め切って、良いものだろうか。(以下続稿)

阿知波五郎「墓」(21)

 職場の玄関では、体温をセンサーで測っている。私はこのところ36.0℃くらいで安定しているので、もちろん引っ掛からない。しかし無症状や発症前、つまり発熱していない人が広めてしまうらしいのに、せっせと検温ばかりしていることに、どれだけ意味があるのか、と思ってしまう。それならPCR検査や抗体検査で安心した方がマシだろう。
 朝の電車で窓が開いていなかったのは、雨だから仕方がないが、ほぼ止んでいた帰りの電車がほぼ締め切られていたのは、どういうことだ。開けようとしたが、重くて、本より重い物を持ったことのない(?)私の細腕では、びくともしない。
 帰宅したら私宛の封書が開封されていた。家人は心配性なので、勝手に私宛の市役所健康課からの通知や検診結果などを開封してしまう。「抗体検査」の案内だと云うので慌てて開けたら「風疹の抗体検査」だったとのことで、以前から無料クーポンが来たら受けようと思っていた奴だった。あんなに躍起になって、検査するな、させるな、と喚いている連中が幅を利かせているのに、受けたければどうぞなんて案内が市役所から来る訳がないだろう、と、笑った。

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・「七月二十三日。」条(2)取り乱す主人公
 昨日の続きで、5日め「七月二十三日。」条の2段落めから。
 429頁9行め、外で「紙芝居屋の喇叭」の音がするのを聞き、外の様子を想像する。そして、10~13行め、

(略)。窓の鉄扉を力一杯たたいでみる。厳丈/な鉄の扉には少しも反応がない。思わず大声あげて喚く、助けて下さい――助けて下さい――助けて/下さい……そうして居るうちに腹立しさがこみ上げて、不覚にも泣けて泣けて……窓の下にくず折れ/て、大声で嘆息を吐く。(略)

と、初めて取り乱すのである。6月15日付(17)に見たように、3日め「七月二十一日。」条にも鉄扉まで行っていたが、そのときは「力なく望ない」声で「救いを求める」ばかりであった。
 続いて、13~15行め、その「大声」で喚いた内容が記される。その次の段落の前半、430頁1行めまで抜いて置こう。

(略)。ばか、ばか野郎、こん畜生、腹がへった、喰いたい、パンをよこせ、めしを/くれ、すしが喰べたい。早く喰わせろ、殺すなら殺せ、息の根をとめてくれ、誰かきてくれ、早く来/てくれ、助けてェ、助けてェ、聞えぬかばかたれ、死ぬぞ、気が狂う、腹べこだ。何か喰べたい。
 しまはとりとめもなく頭に泛んだ感情をでまかせに叫びながら床の上をはい廻る。その度毎に書庫/はますます、しいんとして何のいらえもない。床をたたきまくって泣き出す……悲しくはないが、い/らいらしたそうした気持が理性も何もかもを征服して、すべてを、支配命令して居る。髪もときたく【429】ない。手や足がだるくなり……わめきが続くと、その後の疲れで、他愛もなく睡る。(略)


 この辺りが、ちくま文庫『絶望図書館――立ち直れそうもないとき、心に寄り添ってくれる12の物語に見える、編者・頭木弘樹の記憶する本作の内容、6月14日付(16)に引いた【F】【G】に繋がっているようである。しかしながら、主人公「しま」はこのまま死なないので、まだ、遺書も書いていない。いや、男性への「愛情どころではなくな」るどころか、閉じ込められて以来、渋谷のことは殆ど問題になっていなかったのである。(以下続稿)

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 昨日の最後に書いたことに対しては、反論があるかも知れない。日本代表として世界と戦っている連中と一緒にするな、と。
 確かに、こんな研究をしてどうするのか、と思うようなことをやっている人もいるし、読みが粗かったり論証が雑だったり結論への持って行き方が強引だったり、研究者として野放しにするのはどうか、と思われるような論文を量産しているような人もいる*1
 しかし、時に遇わなかったと云う点で、選ぶところはない筈である。どうしてこちらだけが見通しが甘かった、と言われて、あちらばかりが応援してやらないと可哀想だ、となるのだ。既に昨年、オリンピックとパンデミックについては、国会でも取り上げられていたではないか。

*1:往々にして後者のような人が押しの強さで専任に就職してしまったりするから、いよいよ野放しになってしまう。