瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

ビートたけし『たけしくん、ハイ!』(50)

銀河テレビ小説たけしくんハイ!」シナリオとの異同(40)
 昨日の続き。
・第11回(5)真利子の見積り
 この回の最後は、竹次郎(林隆三)が見積りを覚えないので真利子(木の実ナナ)が竹次郎の仕事先にくっ付いていく場面である。松原組の人たちに冷やかされながら、自転車に二人乗りして出掛ける。仕事先は152頁下段2~3行め、

●金町工業

  その門とプレート。

とあるが、TVドラマでは玄関に、白い木札に黒文字の、表札であった。続く「●同・事務所」の場面では、真利子が勉強の成果を発揮して、まづ「四千八百円」と提示し、以前竹次郎だけで来たときには安くやってもらったけどと渋る小川社長(西村淳二)を「四千五百円」で承知させる。竹次郎は黙っているが、後で「三千円で手を打っちゃうけど」と打ち明けている。これだから儲からない。もちろん竹次郎も自覚している。けれどもペンキの原価しか分からないので、工事費等の諸経費を盛り込むことが出来ない。だから、見積りでこれまで頼りにしてきた英一郎(趙方豪)が家を出ると言い出したときに、第10回・137頁上段10行め「この野郎、親を見捨てようってのか?」と激昂したのである。
 この場面の最後、153頁上段11~12行め、

  二人、出て行く。
  プッと吹き出す女事務員。

とあるのがTVドラマでは「ハハハハ」と思い切り笑っている。ちょっとエキセントリックな印象すら与える笑い方であったが、――以前は随分安い値段で調子の良いことを言って請け負った竹次郎を借りて来た猫のように殆ど喋らせず、真利子が一人で喋って5割増しの値段を承知させたのを見れば、当時の男尊女卑、特にそれが甚だしそうな職人の振る舞いとして異常で、こりゃあやっぱり前回の値段は安過ぎで、それで堪らずおかみさんが出張って来たのだと思えば女事務員(さらだ菜々子)の笑いの対象にもなろうと云うものである。
 最後「●同・表」の、真利子の最後の台詞、153頁下段15~17行め、

真利子「そうよ、だから、あんたと一緒に二十年も/ 暮らして来たのよ。でも初めてだね。二人乗りなん/ てさ。(と竹次郎の背中にほっぺたをくっつける。)」


は、TVドラマでは「‥‥来たんだもん。ねえ、初めてだね。‥‥」と少し異なっていた。それから「二十年も」とあるが、2月15日付(48)に注意したように、英一郎は昭和8年度生なので竹次郎・真利子の結婚は遅くても昭和8年(1933)、この回が昭和30年(1955)の1月下旬くらいであろうか。20年丁度ではないが、大体20年、竹次郎の年齢からしても昭和8年(1933)結婚、長男誕生と云う勘定で良いように思う。(以下続稿)

ビートたけし『たけしくん、ハイ!』(49)

銀河テレビ小説たけしくんハイ!」シナリオとの異同(39)
 昨日の続き。
・第11回(4)区画整理
 147頁上段4行め~148頁下段18行め「信濃屋の中」の場面、冒頭を抜いて置こう。147頁上段5~9行め、

  大山を相手におとなしく飲んでいる竹次郎。
大 山「さっき、都電の所で英一郎さんに会ったよ。/ 本郷に下宿するんだってね。」
竹次郎「あのバカが、何考えてやがんだか。」
  他に、四人の客。


 信濃屋主人の大山(北見治一)の台詞は、TVドラマでは「駅のところで」になっていた。
 足立区には都電は殆ど走っていなかった。足立区内を走っていた都電は千住大橋から千住四丁目までの北千住線、運転系統で云えば「21系統」の水天宮前から千住四丁目まで、荒川放水路の南側までしか通っていなかった。西野家が、原作者の住んだ辺りにあったとすれば最寄駅は東武鉄道伊勢崎線梅島駅のはずである。脚本の布勢博一はその辺りを余り確認せずにうっかり「都電」と書いて、制作現場で「駅」と訂正されたのであろう。
 そこに、珍しく棟梁の松原源治(金田龍之介)が現れ、土木建設委員の区会議員のところでこの辺りの区画整理が本決まりになったとの話を聞いてきた、との話を持ち出す。『シナリオ』では初めから「四人の客」の存在が示されていたらしいが、TVドラマでは初めから姿を見せているのは常連客として登場していた2人(ブッチー武者・大島宇三郎)で、区画整理の話が出てから、カウンターから離れた席で飲んでいたらしい残りの2人(富士原恭平・水島びん)が姿を見せる。
 『シナリオ』とTVドラマの大きな違いは補償金の額で、竹次郎(林隆三)の台詞で引用すると、まづ、客の一人が金町の女房の実家について口にした金額を承けて、147頁下段21行め、

竹次郎「八百円じゃなくて八百万?」

と言っていたのがTVドラマでは「200円じゃなくて200万?」になっている。――時代考証によって、布勢氏が何となく書いた数字はかなり修正されているようである。
 信濃屋は引っ掛からないが、松原組と西野家は引っ掛かると云うので、源治はすっかり浮かれている。
 続く148頁下段19行め~151頁下段10行め「●西野家・中」の場面、菊(千石規子)は内職、真利子(木の実ナナ)は見積りの勉強、たけし(小磯勝弥)は機関車の絵を描き、秀二郎(松田洋治)が受験勉強しているところに好い気分の竹次郎が帰って来る。真利子が苛立って、竹次郎にも見積りの仕方を覚えるよう言った後の遣り取りが、TVドラマでは省略されていた。149頁下旬19行め~150頁上段2行め、

竹次郎「バカヤロ、亭主に向かって判るとは何たる/ 言い草だ。判らい、このくらいの事は。こっちは十/ 年からペンキ屋やってるんだぞ。」【149】
真利子「判ってないじゃないか。材料ったってね、主/ 要材料と補助材料とちゃんとあってさ。」


 そこで竹次郎は区画整理の補償金の話をする。上段21行め~下段1行め、

竹次郎「まあ、七、八百万は堅えだろうってさ。悪く/【上】 て五百万。」

と云う『シナリオ』の台詞もTVドラマでは「まあ200万は堅えだろうな、悪くても150万だ」に変更されていた。
 しかし、真利子に、棟梁のところは土地も家も自分の物だから補償金が入るが、うちは借家だから補償金は地主の大沢さんのところに入る。そうなったら大沢さんに立ち退き料を2000円か3000円貰って、今よりも高い家賃の借家を探さないといけない、と言われて、すっかり腐ってしまうのである。
 この中で注意されるのは、151頁上段8~10行め、

菊  「そうよ、ここだって、昭和二十年から、ま/ だ一回しか値上りしてないんだもの、ただみたい/ なもんだよ。」

と云う台詞で、1月7日付(10)に見たように、昭和16年(1941)2月に古田(綾田俊樹)が出征したときには「江東区深川本所」に住んでいたのだが、漆の仕事が出来なくなって昭和20年(1945)、東京大空襲の前に足立区に移って来たらしい。しかし、以来1回しか値上りしていないのなら、確かにただみたいなものだったろう。(以下続稿)