瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

反町茂雄『一古書肆の思い出』(5)

 反町氏の死により本書は未完に終わったが、続いて何が書かれるはずだったのかは、青木正美 作成「反町茂雄年譜」の昭和28年(1953)以後を辿って行けば、その大概を察することが出来る。
 かつ、そこで書かれるはずだった内容も、反町氏は著述活動も活発に行っていたので、ある程度は分かる。天理図書館については「天理図書館善本叢書月報」の連載を中心に纏めた『天理図書館の善本稀書 一古書肆の思い出』があり、その他主要な蒐書家や売立会については次の本にも述べてある。
反町茂雄『蒐書家・業界・業界人』昭和59年6月30日 初版発行・定価3,200円・八木書店・390頁・A5判上製本
 反町氏の著述は、本書第五巻の編集部 作成「反町茂雄著述目録」の時点では、単行本に再録されていないものが殆どであったが、その後、単行本に収録されていないほぼ全ての文章を集めた文集が刊行されている。
・文車の会 編集『反町茂雄文集』発行日 平成五年六月十五日・定価一二、三〇〇円(上・下セット)・文車の会(発売 八木書店)・A5判上製本

 上『古典籍の世界』前付+638頁
 下『古書業界を語る』前付+644+索引36頁
 「反町茂雄著述目録」は年代順であるが、下628~644頁「反町茂雄主題別著作一覧」は主題別に分類してある。
 さらに千代田区千代田図書館にある、反町氏が資料として蒐集していた目録や帳簿と合わせて行けば、ある程度は辿ることが出来るだろう。もちろん、本人が書いたものには遥かに及ばない。ただ、全く手懸かりがない訳ではない。
 なお、これら『蒐書家・業界・業界人』や『反町茂雄文集』に収録されている文章は、本書と重なるところも多い。そう云った箇所については、原則として本書の方に拠るべきだろうとは思うけれども、一応対照させて見る必要があるだろう。
 さて、以上は反町氏の著述を活用するための下調べである。最後に(前回の最後にうっかり結論だけ述べてしまったのだが)本書の第三巻以降、恐ろしく記述量が増えてしまった理由の推測をして、一旦切り上げることとしよう。
 本書『第五巻』396~373頁(平凡社ライブラリー版396~374頁)編集部 作成「反町茂雄著述目録」の、378頁30行め~377頁12行め「昭和57年(1982)」の377頁5~10行め「9月」条に、6~10行め、

  一古書肆の思い出――昭和の古典籍移動
   史――①              目の眼    9月号
   注 昭和62年1月号まで、45回にわたって連載し,昭和61年1月
     『一古書肆の思い出』(平凡社)第1巻,同年12月同書第2巻に
     収録された。

とあり、376頁29行め~375頁9行め「昭和61年(1986)」の376頁30~32行め「1月」条、

1 月『一古書肆の思い出1 修業時代』(平凡社
   注 美術雑誌『目の眼』(里文出版)に昭和57年9月号から連載し
     たもののうち第23回(昭和60年1月号)の前半までを収録。

とあり、375頁7~9行め「12月」条、

12月『一古書肆の思い出2 賈を待つ者』(平凡社*1
   注 『目の眼』連載第23回(昭和60年1月号)後半から第45回(昭
     和62年1月号)までを収録。

とある。そして375頁10~32行め「昭和62年(1987)」の375頁11~14行め「1月」条の12~14行め、

  一古書肆の思い出――昭和の古典籍移動
   史――㊺              目の眼    1月号
   注 雑誌連載,おわる。

とあり、374頁1~12行め「昭和63年(1988)」の3~5行め「3月」条、4~5行め

  『一古書肆の思い出3 古典籍の奔流横溢』(平凡社
   注 この巻から書き下ろし。

とある。――雑誌連載時は、その1回分の枚数が決まっていて、毎回何らかの眼目を立てることになるから、テンポよく進められた。しかし書き下ろしになってしまうとついあれもこれも書いて置こうと云う気になってしまう。第三巻の時点では、どのくらいの分量で1冊になるか分かっていた訳だから、雑誌連載を続けておれば編集者が毎月点検して、とてもこれでは昭和40年まで進まないが良いか、と云うチェックが入ったことだろう。書き下ろしにしたのは、雑誌連載では約2年でやっと1冊分にしかならない執筆のペースを上げるためだったのではないか、と思われるのだが、制約がなくなったことで反町氏のサービス精神がそれこそ〝奔流横溢〟して収拾が付かなくなってしまったのだとしたら、却って皮肉な結果になってしまったと云う他はない。(以下続稿)

*1:ルビ「かいひと」。

反町茂雄『一古書肆の思い出』(4)

・奥付裏の目録
 編成は第一巻『修業時代』の「おわりに」では全四巻、それが第三巻『古典籍の奔流横溢』の「首に」で、当初『古典籍の奔流横溢』に予定していた内容をもう1冊、第四巻『激流に棹さして』にも回し、当初、最終第四巻に予定していた『賑わいは夢の如く』を第五巻にする旨を断っていた。ところが第四巻『激流に棹さして』は当初予定の『古典籍の奔流横溢』の時期・内容を殆どカバー出来なかったのに、何故か全五巻の予定を変更しなかった。ただ、第五巻の副題については第四巻の自序に当たる「第四巻の首に」にも跋に当たる「思いつくまゝに」にも述べるところがない。結局、第五巻の執筆途中、予定枚数の半分ほど(301枚+未定稿36枚)を書き上げたところで入院、執筆出来なくなり、そのまま反町氏が死去してしまったので本書は未完に終わった。その遺稿を加えても当初『古典籍の奔流横溢』に予定されていた時期の半分にも達していない。それだのに反町氏が最後まで、入院中に口述した読者宛書簡「『一古書肆の思い出』の読者の皆様へ」でも全五巻の予定を変更しなかったこと、そして第三巻の「首に」で全五巻の第五巻を『賑わいは夢の如く』としていることを以て、平凡社編集部はこの遺稿を第五巻『賑わいは夢の如く』として出版してしまった。但し、第四巻でもそうだったがこの第五巻の上記読者宛に口述した書簡でも、反町氏は第五巻の副題には触れていない。
 一昨日・昨日とこの点を、反町氏の序跋に当たる文章に拠りながら確認して来たのであるが、ここで各巻奥付裏の目録「一古書肆の思い出 (全四巻) 反町茂雄」の内容を見て置こう。標題は明朝体太字で大きく、続く(全四巻)は第二巻までで、第三巻からは(全五巻)になっている。続いて5字程下げて2行、

取り扱った貴籍・珍書は二万数千点。多くの国宝・重文を世に送った反町/弘|文荘主人が、十年の自伝的回想を通して語る、昭和の古典籍大移動史!

とある。これは第二巻以降のもので、第一巻太字の赤にしたところが異なっていた。まづ最初の読点がなく改行位置も「|」で示したところになっていた。そして「十年」ではなく「十年」である。古書業界に入ってから60年と云うことになるが第一巻『修業時代』の1章め「Ⅰ 生いたちの記」は「1 郷里 長岡の記憶」の節から始まっているので80年の方が良いだろう。
 続いて番号と副題を上部にやや大きく示し、下に細かい字で第二巻までは全四巻だったので1点につき4行、第三巻以降は全五巻になって余裕がなくなったせいで3行の紹介文がある。
「1 修 業 時 代」から確認して置こう。第一巻は、

めくら縞の着物に縞の前垂れ、木綿の角帯をギュウと締めて――。/昭和大|恐慌のさなか、東大卒業式の三日後に住込み小僧となって古/書業界へ飛びこんだ、反町茂雄の修業時代。五年半、一所懸命の記/が、豊富なデーターと平明な文章で、生きいきと描かれる。 既刊

となっていたが、第二巻は「飛びこんだ、」までは一致、以下が「修業時代の苦楽と悲喜、成功と失敗が、豊富/なデーターと平明な文章で、活写される。    定価 三〇〇〇円」となっている。第三巻以降は1行の字数を増やして「|」で改行している。「住込み小僧となって」まで一致、以下が「飛びこんだ古書|業界での、修業時代の苦楽と悲喜、成功と失敗。」3行め下詰めの定価は第二巻に同じ。第四巻は定価が「既刊」となっている。第五巻は「定価 三〇九〇円」。
「2 賈(かいひと)を待つ者」の第一巻目録の紹介文は、

昭和七年秋、東京本郷に、古典籍専門の古書肆弘文荘を開業、敬慕/する江戸の珍本屋待賈堂達磨屋五一に因んで、販売目録を「待賈古/書目」と名づけた。戦争前夜から敗戦に至る暗い時代に、埋もれた/貴重古典籍を求めて全国を奔走する著者の姿が活写される。

となっていたが、第二巻は「奔走する」まで一致、以下が「記。     定価 二五〇〇円」と、定価を入れるために強引に切り上げられている。第三巻は、冒頭「昭和七年秋、古典籍専門の古書肆弘文荘を開業。」はほぼそのままだが、続きは「貴重書探索に全国を東奔|西走し、大入札会の実戦場で実力を蓄え、学問的な目録の編纂に情熱を燃|やした、戦時下十年間の努力奮闘記。」と要約、3行め下詰め「定価 二五〇〇円」。第四巻既刊第五巻「定価 二五七五円」。
「3 古典籍の奔流横溢」は第一巻の目録では、

敗戦の結果、貴族・富豪の秘庫が開かれ、優秀な古典籍が市場にあ/ふれた昭和二十年代、悲惨な低価で巷に離散した貴籍の再配置が進/行する三十年代。業者としての実力最充実期に、未曾有の古書激動/時代を迎えた弘文荘主は、全力をあげ全資を投じて、激流に挑む。

となっており第二巻も一致。第三巻『古典籍の放流横溢』の紹介文は、上記紹介文の内容を2冊に分ける予定に変更されたため、その前半を膨らませたものとなっている。

敗戦直後の大混乱期に、急没落した貴族、資産を喪失した富豪階級、生活|の資に窮した学者、等々の宝籍・稀本の投げ売り。低価格の古文化財が、|市場・市中を暴流する実況を詳細具体的に活写。    定価 二五〇〇円


 第四巻は定価ではなく「既刊」とあり第五巻「定価 二五七五円」。
 そして当初予定されていた『古典籍の放流横溢』の後半に当たる(はずだった)「4 激 流 に 棹 さ し て」の第三巻目録の紹介文は、

二十年代後半と三十年代。なお引き続く未曾有の古書激動時代。業者とし|ての実力最充実期に、運よく好機に際会した弘文荘主が、全力をあげ全資|を投じて、貴重書の蒐集と、良き再配置に奮闘。

となっていたが、第四巻の目録では、

昭和二十四、五、六年。古書暴出最高潮三年間の記。著者は必死に大魚巨|鱗を追う。所獲の重要文化財指定品三、四十点等々。どんな稀覯本が、ど|こから、どんな手順で、価格は? 正直な生きた記録!      既刊

と実態に合わせて変更されている。第五巻は「 定価 二五七五円」。
 そして最終巻として予定されていた「4 賑 わ い は 夢 の 如 く」については第一巻の目録、

賑わいは夢の如く去り、貴の市場に現れることは、もはや稀れ。/多年集貯の珍本を調査公開する目録の|編纂に、後進の育成に、海外/調査旅行に、八十路を越えてなお倦むこと|を知らず、時に為家本土佐日記等を発見して、識者を瞠目させる。

とあり第二巻も同じ。第三巻では「5 賑 わ い は 夢 の 如 く」だが、太字灰色にした箇所を削除、そして太字赤にしたところは、それぞれ「書」「集大成」「の著者は」「大稀書」と書き換えている。第四巻も同じ。そして遺稿その他で纏めた第五巻『賑わいは夢の如く』では、

古典籍商として円熟期に入った昭和二十七、八年の記。仕入活動の要諦や|弘文荘独自の古書価決定の規準を、大胆詳細に公開する。死の直前まで執|筆を続け、ついに未完に了った反町自伝の最終篇。   定価 二五七五円

となっている*1が、予告されていた内容と全く違う。やはり、晩年まで書き上げてこその『賑わいは夢の如く』なのであって、昭和28年(1953)で中絶した巻にこの副題を与えるべきではなかった。反町氏が全五巻を変更しなかったり『賑わいは夢の如く』以外の標題を考えなかったことは、その完成を入院生活に於ける気持ちの支えにしていたとすれば(客観的に見て不可能としか思えないにしても)仕方がなかったとは思うのだけれども。
 私が本書の解題を書くとすれば、――当初、独立開業までの『修業時代』、終戦直後までの『賈を待つ者』、昭和20年代30年代の『古典籍の奔流横溢』、昭和40年代50年代を中心とした『賑わいは夢の如く』の全4巻の構成で、美術雑誌「目の眼」に連載した第二巻まではほぼ順調に進めていたが、第三巻以降書き下ろしにしてから記述が詳細になり、『古典籍の奔流横溢』は第三巻・第四巻(『激流に棹さして』)の2冊となってなお完結せず、昭和28年の途中までで著者の死去により未完に終わり、遺稿に関連稿、座談会、年譜・著作目録を加えて刊行された第五巻が『賑わいは夢の如く』の副題で刊行されたが、本来予定されていた『賑わいは夢の如く』は、結局着手されないままとなった。と書きたいところである。(以下続稿)

*1:なお、この目録は各巻とも上下に横線があってその間に明朝体縦組みで収まっているが、第五巻のみ2本めの横線の下、左詰めで横組みで小さく「(定価は1992年6月現在)」とある。