瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

平山蘆江『東京おぼえ帳』(4)

昨日、自分を生徒指導の教師に喩えてみましたが、それが良いとは、思わない訳です。そういう役の教師は大概嫌われ者でしょう。そんなところに目くじらを立てずに、素直に大らかにメッセージを受け取れたら、と思うのです。しかしながら、チラシや看板を見て…

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(02)

頁付の相違を細々と指摘していると、なんだか中高生に「服装の乱れは心の乱れ」と説教している生徒指導の先生みたいな感じになってくる。生徒はたいてい「服装が乱れても心まで乱れてないし」「関係ないじゃん」と従わないから、鼬ごっこになるのだが、やは…

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(01)

アルファベットの題にしたが私に語学力はまるでない。本書に限らず、原文で読もうなどと考えたこともない。邦題が複数あり、いずれも原書名の直訳ではないので、仮に原書の扉の書名を挙げて置いたまでである。フランス語の著述で、パリで1867年に刊行された。…

平山蘆江『東京おぼえ帳』(3)

桜が咲いたそうだ。しかし、花粉がひどい。10年以上前、花粉症が風物詩(?)のように流行り出した頃、先輩でボックスティッシュを持ち歩いて、鼻をかんでばかりいる人がいた。もちろんずっとマスクをしていた。――アレグラを処方してもらっているせいか、幸…

平山蘆江『東京おぼえ帳』(2)

文庫版の本体はウェッジ文庫共通の装幀だが、元版は表紙左肩に、子持ち枠の題簽型に函と全く同じ「東京おぼえ帳」の文字があるのみ、背表紙には同筆(同じ字ではない)で標題、その下に明朝体で「平山蘆江」、裏表紙は中央に、時計回りの三つ巴の、輪郭だけ…

平山蘆江『東京おぼえ帳』(1)

ここ数年、この時期は、桜がもう咲くのではないか、そんな暖かさの中にあるのだが、今年はまだまだ寒い。このところ、「暑さ寒さも彼岸まで」の「暑さ」は彼岸の後にも続き、「寒さ」は彼岸より前に解消している、ような気がしていたのに、昨日の帰りは強風…

服部龍太郎『日本民謡集』(1)

民謡の本は、増補が繰り返されて原型を止めないことがよくあるが、服部龍太郎『日本民謡集(現代教養文庫262)』は、その好例である。 この現代教養文庫版『日本民謡集』には、初版・定本・改訂版の3版がある。 〔初版〕『日本民謡集』(昭和三十四年十二月…

新小説「怪談百物語」(02)

昨日はざっとしたところまでで止めました。怪談の会らしいからしくないか、寄稿している面々の文体や、記事の傾向から見当を付けてみた訳です。私は会はなかったろう、という見当なのですが、ここまでではただの見当です。 そもそも、不特定多数に文字にして…

新小説「怪談百物語」(01)

以下の記事は「新小説」の原本を確認したりした上で、上げていこうと思っていたのですが、なかなか調べにも出られないので、大体のところを示すということで、出しておきます。原本を見る機会があれば、だいぶ先のことになるかも知れませんが、また追補した…

幽霊と妖怪

地震後休館のまま、一部開館で施設の一部を閉鎖したまま、という図書館もあって、使えなくなってから改めて如何に恵まれた環境にいたか、ということに思いを致しております。――高校の帰りに、往復1時間半かけて市立図書館に歩いて通ったのが(電車を使えばも…

幽霊の奢り(1)

東雅夫編『文藝怪談実話』*1所収、宇野信夫(1904〜1991)「六代目の怪談」(211〜215頁)は昭和53年(1978)刊九藝出版『役者と噺家』*2を底本として、初出不明とのことですが、六代目尾上菊五郎(1886〜1949)から聞いた、というのですから、いずれ明治か…

森鴎外『雁』の文庫本(5)

新潮文庫の昭和五十三年十月三十日六十一刷の奥付と広告について。この配列も3月15日付「田中英光『オリムポスの果實』(04)」に紹介した「昭和五十三年五月三十日三十九刷」の新潮文庫『オリンポスの果実』と同じで、現在では最新刊などの目録の後、最終頁…

森鴎外『雁』の文庫本(4)

新潮文庫の昭和五十三年十月三十日六十一刷のカバーについて。本当は昭和六十年七月五日七十五刷を借りてきて、その本体とカバーと比較しながら記述したかったのだが、この状態ではなかなか借りにも出られないので、平成六年九月五日九十三刷と比較しながら…

山田野理夫編『佐々木喜善の昔話』(2)

どうもこの、『佐々木喜善の昔話』を『遠野の昔話』へと改題した、その意図するところがよく分からない*1。表紙の文字は白抜きの「佐々木喜善の昔話集」の方が標題「遠野の昔話」より大きいのだが、考える余地もないくらいこっちの方が適当である。 見返しに…

森鴎外『舞姫』の文庫本(4)

3月10日付(3)からの続きで「昭和二十九年六月三十日 初版発行/昭和四十二年七月三十日 三十版発行/昭和四十七年五月三十日改版八版発行」の改版八版について述べる。 144〜147頁「主要参考文献」だが、まず単行本が48種挙がっており、その最後(146頁18…

森鴎外『雁』の文庫本(3)

新潮文庫46『雁』については、 ・昭和二十三年(1948)十二月五日発行 本文(歴史的仮名遣)+解説(片岡)※未見、推定。 ・昭和四十三年(1968)三月三十日四十二刷改版 本文(現代仮名遣)+注(三好)+解説(片岡) ・昭和六十年(1985)十一月十五日七…

田中英光『オリムポスの果實』(04)

今日も自宅に待機。一昨日買い物をしたスーパーに行ってみたが、パン・乾麺・即席麺・カップ麺、ミネラルウォーター、鶏肉など*1は殆どない。レジ前の行列も長く、一人一人が買い込んでいる量も多い。そして普段の店内が明る過ぎることに今更ながら気付かせ…

田中英光『オリムポスの果實』(03)

東京でもたまに地震があるが、少しの揺れではもうテロップも出ない。 お尻に揺れを感じて、消してある照明の、垂れ下がったつまみが揺れているのを見る。 今のところ停電はないようだ。如何に電気に頼って生活しているかが分かる。 出勤しようとして駅で足止…

節電(?)

先刻、間違って昨日の下書きを投稿してしまったが、その後、続きの記事を整理していたらブラウザが停止して、書きかけの記事が2度消えてしまった。 そこで思い直して、昨日、「大きな欠陥」と書いたものの、一応「聞蔵Ⅱビジュアル」としては、分かっていてや…

新聞夕刊の日付(1)

一夜明けて、いよいよ惨状が明らかになり、報道の不安を煽るような調子は薄まった。ただ午後になって原子力発電所の「非常に深刻な事態」が問題になっている。昨日、地震に遭遇した勤め先ではテレビを見られなかったので、職場の被害はそれほどではなかった…

帰宅

勤め先の同僚に自転車を借りられたので2時間かけて23時過ぎに帰宅。*1 *1:【2019年12月19日追記】この日借りた自転車を返しに行ったときのことを2011年4月12日付「花粉サイクリング」に書いた。

森鴎外『舞姫』の文庫本(3)

『舞姫』について書き始めたら、今朝、モデルの特定についてまた報道各社が報じている。しかし、こういうのが出て来ると研究者は何をしておる(おった)のか、という気分になってくる。まだまだ素人が物を言う余地があるということか。これでモデル問題が収…

予告編について

実家には長らくビデオデッキがなかった。その後、不況の折の現物支給とかで買ったものの、あまりいじらなかった。ビデオカメラは触ったこともない。録画もしないからVHSが衰退しても全く困らなかった。映画ならテレビで見れば良いという怠けた考え方で、…

森鴎外『舞姫』の文庫本(2)

一昨日貼って置いた角川文庫『舞姫・うたかたの記』をクリックしてAmazonの詳細ページに行き、そこでまた書影をクリックすると「クリックなか見!検索」で、本文の一部が読めるようになっている。モニタのサイズにも拠るだろうが、表紙も原寸よりも大きく出…

山田野理夫編『遠野のザシキワラシとオシラサマ』(6)

昭和49年版(昭和52年版)について、後回しにしている山下氏の解説の内容、それから巻末の佐々木光広編「佐々木喜善全著作目録」の内容にまだ触れていないが、もう少々確認しておきたいことがあるので後回しにする。ここでは中公文庫版について述べておく。…

森鴎外『舞姫』の文庫本(1)

一応(1)にして置いたが、2月7日付「森鴎外『雁』の文庫本(2)」が、実質(1)に当たるので、今からあっちに(1)の見出しを追加して、これを(2)にしようかとも思ったのだが、ややこしいし、1つの記事に見出しを2つ並べるのもどうかと思ったので、…

山田野理夫編『佐々木喜善の昔話』(1)

投稿してから読み直して、手を入れています。投稿する前に完璧に出来ていれば良いのですが、頭の構造がそうなっていないのか、何度もちょくちょく細かいところを直してしまうのです。一応、1月13日付の後半に断って置いてはあるのですが、それにしても昨日の…

山田野理夫編『遠野のザシキワラシとオシラサマ』(5)

5頁(頁付なし)は中扉で昭和49年版・昭和52年版には「第一部 ザシキワラシ」とあったが昭和63年版では「ザシキワラシ」のみである(以下同じ)。確かに「目次」には昭和49年版以来「ザシキワラシ」(2頁)とのみで、部立に番号は振られていなかった。本文は…

山田野理夫編『遠野のザシキワラシとオシラサマ』(4)

さて、昭和49年(1974)版4頁に見える連名のうち、昭和52年(1977)版・昭和63年(1988)版にも引き継がれているのは装幀と無関係の「散 文 詩 山田野理夫/写真撮影 宝文館出版」のみなのだが、これも中公文庫版には取られていない。 これはどういうものか…

山田野理夫編『遠野のザシキワラシとオシラサマ』(3)

昭和49年版、4頁(頁付なし)の左下に小さく「装画 水木しげる/題字 野村無象/見返し地図 木村卜堂/散文詩 山田野理夫/写真撮影 宝文舘出版写真部」とある。 その後、昭和52年版も借りて来て今手許に4種揃っているのだが、上製本は昭和49年版のみで、昭…