瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

岩本由輝『もう一つの遠野物語』(3)

奥付の前の頁に「――著 者 紹 介――」がある。横書きで、まず振仮名付きの氏名、1937年の誕生、1961年の大学卒業、1967年の大学院博士課程修了(経済学博士)までは初版・追補版とも同じ。初版は「現 職 山形大学教授」とあるが、追補版は「同 年 山形大学講師…

岩本由輝『もう一つの遠野物語』(2)

さて、本体の異同を見て行こう。 無地の見返し(遊紙あり)、次いでモノクロ口絵4頁分(頁付なし)は同じ、扉(i頁、頁付なし)は本文共紙で、レイアウトはカバー表紙に似る。右上にゴシック体で「刀水歴史全書15」右下にゴシック体で「刀 水 書 房」とある…

岩本由輝『もう一つの遠野物語』(1)

初版と追補版がある。版元のHPを見るに、「定価: 本体2200円+税/2010年9月刊/ISBN978-4-88708-130-7/四六判 275頁//在庫あり 10月1日復刊!」とあって、追補版は昨年10月1日に復刊されている。ところがAmazonの詳細ページにも書影がない。 この昨年…

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(07)

3月29日付(01)に「邦訳は、2種類ある」と書いた。そのもう1種類の方を、ここで確認して置こう。 「異国叢書」というシリーズがある。昭和2年(1927)から6年(1931)にかけて全13巻が刊行され、昭和41年(1966)に雄松堂出版から復刻、今でも雄松堂書店の…

柳田國男『遠野物語』の文庫本(08)

吉本氏の評価は、要するに、文学作品としての評価なのである。他の連中が自然主義とか反自然主義とかやっていた時分に、『遠野物語』を「文学」として提示したのであれば、それは確かに「屹立」して見える。序文も本文も文学趣味が濃厚である。その後同じよ…

柳田國男『遠野物語』の文庫本(07)

前回、これから「個々の疑問点の突っ込みに、移る」と書いたけれども、冒頭にいろいろと作家の名前を引き合いに出しているのが、どうも文学作品として『遠野物語』を捉えすぎじゃないのか、ということで脇道に逸れたので、泥縄式にやっていると自分がどこに…

小林千登勢『お星さまのレール』(5)

フォア文庫愛蔵版(上製本)について。内容は同じなので改版ではなく改装として置いた。 複数の図書館で、カバーのない状態のものを目にしたところからして、フォア文庫愛蔵版には初め、カバーはなかったらしい*1。但し、刊行時期の新しいものにはカバーがあ…

小林千登勢『お星さまのレール』(4)

フォア文庫はカバー表紙折返しの右下にあるように「装丁 安野光雅」なのだが、第17刷では装丁者の上に「©協同組合全国映画センター/テレビ東京」と1行に入っている。この図柄だが、主人公の背景は枕木の見える鉄橋だから「●20/谷川の鉄橋」と見当が付く。…

小林千登勢『お星さまのレール』(3)

フォア文庫普及版(並製本)の新旧カバーについて、手許にある「1986年7月 第6刷発行」と「1996年7月 第17刷発行」を比較しつつ記述して置こう。 ところで4月10日付(1)に、Amazonの書影が新しいカバーで、それ以前には別の絵だった、と書いた。そして実際…

柳田國男『遠野物語』の文庫本(06)

桑原氏は「共感」や「親密さ」という語を使っていた。「著者」柳田國男と「学問」の対象とを、対等に捉える行き方である。これに対して、吉本氏は『遠野物語』は全て柳田氏が制御した、柳田氏によって統制された作品として、捉えているように、読める。柳田…

柳田國男『遠野物語』の文庫本(05)

『共同幻想論』は、現代思想に疎い私でも名前だけは知っている。共同幻想論 (1968年)作者: 吉本隆明出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 1968メディア: ? クリック: 10回この商品を含むブログ (13件) を見る改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)作者: …

柳田國男『遠野物語』の文庫本(04)

私は吉本隆明の本を全く読んでいない。大学院なぞに進んで、細かい異同の総浚えなどをやらされているうちに、それが苦痛でなくなった、というか、性分に合っていたような気がしてきたような按配で、研究者と名乗る人々の中でも細かいところをないがしろにす…

直木三十三「怪談寄せ書」(1)

4月17日付の「岡山の高砂座」の話、「有名な話」だというが、ネット上では見当たらない。岡山の奇譚集を見れば載っているであろうか。 似たような話であれば、あちこちにあるようだ。これも動物関連の奇譚集を見ればもう集録されているかも知れない。桂米朝…

港屋主人「劇塲怪談噺」(5)

3題めの後半(4話め)。 もう一つの部屋と云ふのは、/三階の大部屋の先の小さい部屋/で、これこそ不開の間と云つて/有名なものなんださうな、今で/はすつかり釘付にされてあるの/で入る事は出來ないが、もし入/つたならばそれこそうつかりし/てゐると…

港屋主人「劇塲怪談噺」(4)

3題め。2話から成る。今回は1話め(通しで3話め)を紹介する。 舞台となっている新富座は、江戸時代以来の守田座が天保の改革以来の所在地猿若町から明治5年(1872)に新富町(現在の東京都中央区新富)に移転、明治8年(1875)に改称。「先代守田勘弥」は12…

港屋主人「劇塲怪談噺」(3)

津波で被害を受けが到達した地域には仮設住宅の建設を認めない、と宮城県が突っぱねているそうだ。羮に懲りて膾を吹く、というか、杓子定規というか。あんな津波が余震で起こるはずがない。そもそも、再々あんな津波に襲われると思っているのなら、それこそ…

港屋主人「劇塲怪談噺」(2)

1話め。 ▲帝劇血染礎 文明開化の副産物として生れ/た大劇塲、丸の内の白煉瓦帝國/劇塲にもさうした噂が刻まれて/ゐやうとは誰しも思ひがけぬ事/であらう、巴里のセントラル、オ/ペラ座に摸して造られたと云ふ/最新式のあの劇塲が、怪談を包/んでゐる…

港屋主人「劇塲怪談噺」(1)

芝居関係者には怪談が多いらしい。明治42年(1909)には「都新聞」に「役者の怪談」という連載があった。考証の材料になるので一通り目を通していたのだが、その後、次の本に影印で収録された。明治期怪異妖怪記事資料集成作者: 湯本豪一出版社/メーカー: 国…

花粉サイクリング

(取り留めもない雑談なのですが書いているうちに長くなりました。しかしこんなものでも今日出して置かないとどこにも出す機会がありませんから、上げておきます。)

小林千登勢『お星さまのレール』(2)

単行本の続き。新書版(フォア文庫)との異同について、その並製本(普及版)と比較しつつ述べて置こう。 単行本の見返し(見開き)は橙色、扉はアート紙で灰色地、左上に横書きで「お星さまのレール/小林千登勢・作/小林与志・画」右下に背嚢を背負い水筒…

小林千登勢『お星さまのレール』(1)

女優小林千登勢(1937.2.13〜2003.11.26)の、北朝鮮からの引揚体験記。 単行本と新書版(フォア文庫)とがある。フォア文庫には、並製本(普及版)と上製本(愛蔵版)がある。それから図書館派としては馴染みの埼玉福祉会の大活字本シリーズにも入っている…

今野圓輔編著『日本怪談集―幽霊篇―』(3)

2月9日付(2)で、中公文庫版の装幀や索引について述べました。他に現代教養文庫版との異同としては図版についても触れたいところですが、現代教養文庫版に全くなく中公文庫版で新たに加わったものとして下巻154〜159頁の、木原浩勝「解説」を確認して置き…

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(06)

深夜に余震があった。そして例によって神経質に津波に気を付けろ、と繰り返していた。いい加減にして欲しい。 余震で本震を上回る津波が発生することは、まずないだろう。仮に3mの津波が発生したとして、もう史上最大級の津波で破壊され尽されているのだ。…

柳田國男『遠野物語』の文庫本(03)

桜はところによりもう満開である。しかし私はまだ五分咲きの並木の脇を歩いて、なんだか寂しい気持ちになったのだが、まだ花粉症が治まらず、再々花の下を歩くような機会も作れない。 なんだか急に思い立って、生意気なことを書き始めて、早速後悔しているの…

柳田國男『遠野物語』の文庫本(02)

旧版では「初版序文」に続いて柳田国男「再版覚書」(11〜13頁)がある。新版にはない。 「題目/(下の数字は話の番号なり、頁数には非ず。)」は旧版16〜18頁・新版11〜13頁である。 本文(一一九話)は旧版19〜73頁、新版は14〜89頁である。『遠野物語』…

柳田國男『遠野物語』の文庫本(01)

私は『遠野物語』は新潮文庫で読んだのだが、今度人に勧めるつもりで、書店で新潮文庫の『遠野物語』を探したら見当たらなかった。絶版品切れになっているようである。その後、図書館で見つけてぱらぱらめくってみると、私の持っているものと、カバーは同じ…

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(05)

このことには触れずに置こうかと思ったのだが、私がこれから書こうと思っていたことを詳細に述べているブログを見付けたので、考えを変えて、触れることにした。 実は、私は平成10年(1998)9月27日付で講談社学術文庫編集部宛にこの本の疑問箇所を指摘した…

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(04)

「付 シュリーマンの館」の、第1刷(第3刷)と第9刷(第32刷)の異同について、続き。〔第9刷〕208頁8〜11は〔第1刷〕207頁16〜208頁3に相当する。〔第1刷〕は「世界中の王侯貴族をこの館に招待して……」に始まるが、〔第9刷〕は「シュリーマン邸の建築を依頼…

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(03)

その後、第3刷と第32刷(!)を見た。かつて私が読んだのは第3刷で、平成10年(1998)8月17日から27日かけて、であった。当時、外国人の日本見聞記を読んでいて、ピエール・ロチ/村上菊一郎・吉氷清 訳『秋の日本(角川文庫602)』(昭和二十八年十月二十日…

村松定孝『わたしは幽霊を見た』考証(13)

もう少々詳しく、『言葉の影像』の「巴里のエリセーエフ翁」のうち、昭和39年(1964)の外遊についての記述(46〜52頁)と対照しながら、確認してみましょう。 村松氏は、空港で「村上菊一郎さん」に出迎えられます(83頁)。「村上さんは、勤務先の早稲田大…