瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

2013-01-01から1年間の記事一覧

赤いマント(41)

今日は昨日の続きで「都新聞」昭和14年(1939)2月24日付の記事の内容について、確認して置きましょう。 流言の担い手たる女学生の証言、ラジオニュースの内容、それから情報課長の見解も示された、新聞記事のうちでは最も充実した内容を持つものとして、特…

赤いマント(40)

順番が前後しましたが「都新聞」昭和十四年二月廿四日(金曜日)第一万八千四百三十三號の(十五)面*1、14段組のうち12段めまでが記事で下2段が広告、11〜12段めの左に「天気予報」、12段めのその右に「|デパート欄は/第八面にあり|本日朝刊十六頁」とあり…

赤いマント(39)

昨日の続きで、昭和14年(1939)2月24日(金曜日)夕刊に出た記事を、もう1つ見て置きましょう。 「都新聞」昭和十四年二月廿五日(土曜日)付の「夕刊*1」第一万八千四百三十四號、すなわち2月24日の午後の新聞で(一)面に「(頁四刊夕日四廿)」とありま…

赤いマント(38)

それでは新聞記事に戻って、11月15日付(25)に見た、昭和14年(1939)2月23日(木曜日)「報知新聞」夕刊の続きで、2月24日(金曜日)の「報知新聞」夕刊を見て置きましょう。 昭和十四年二月二十五日(土曜日)付、第二萬二千三百三十六號の「刊夕*1」、す…

赤いマント(37)

グラフィックデザイナー粟津潔(1929.2.19〜2009.4.28)は昭和3年度の生れですから、小沢信男「わたしの赤マント」の登場人物たち(及び小沢氏)よりも1学年下です。 『不思議を眼玉に入れて』では複数の頁を突き合わせて年次の確認をしないといけないので、…

赤いマント(36)

さて、新聞記事に戻る前に、紙芝居「黄金バット」と絡めた回想を取り上げてみましょう。不思議を眼玉に入れて―粟津潔 横断的デザインの原点作者: 粟津潔出版社/メーカー: 現代企画室発売日: 2006/05/01メディア: 単行本この商品を含むブログ (2件) を見る・…

赤いマント(35)

大宅氏の問題設定を見て置きましょう。「二」章は抄出のつもりでしたが、結局全部引くことになってしまいました。(本欄424)頁上段11行め〜中段20行め、濁点付の「くの字点」は「%\」としました。ちくま文庫347頁16行め〜348頁13行め。 しかし問題は、せ…

赤いマント(34)

昨日の続きで、大宅壮一「「赤マント」社會學」の「二」章からの抄出の続き。(本欄423)頁中段19行め〜(本欄424)頁上段10行め、ちくま文庫『犯罪百話 昭和篇』346頁15行め〜347頁15行め。 最初この流言のもつとも有力な媒介をした/のは子供であるが、なる…

赤いマント(33)

11月21日付(31)の続きで、大宅壮一「「赤マント」社會學」の「二」章から抄出して見ましょう。(本欄423)頁中段4〜18行め、ちくま文庫『犯罪百話 昭和篇』346頁7〜14行め。 二 もつとも、この流言には全然根據がなかつ/たわけではない。日暮里邊で佝僂の…

赤いマント(32)

飲食店の女性が怯えていたという回想を遺しているのは、国語学者の大野晋(1919.8.23〜2008.7.14)です。次の記事はその日に読んで、切り抜いて置こうと思いつつそのままにしてしまい、先月記憶を辿って縮刷版にて確認して来ました*1。 「朝日新聞(夕刊)」…

赤いマント(31)

11月16日付(26)にて、小沢氏が昭和63年(1988)9月刊『犯罪百話 昭和篇』の準備段階で、大宅壮一「「赤マント」社会学」によって「赤マント事件」の時期をほぼ把握していたであろうことを指摘し、 とにかく平成元年(1989)の『東京百景』刊行時には判明し…

赤いマント(30)

小沢信男「わたしの赤マント」について調べるきっかけになったブログ記事「怪人赤マント追記」の筆者すずしろ氏より「わたしの赤マント」の本文異同についてのコメントをいただきました*1。国会図書館では目下、初出の「文藝」誌をデジタル化作業中で閲覧出…

赤いマント(29)

昨日の続きで、昭和14年(1939)4月号の「中央公論」の、「東京だより」の続き。昨日引いたのが本欄365頁上段12行めまででしたので、13行めから中段20行めまで。くの字点は仮に太字「/\」にして示しました。 『それは、子供は夜、外へ出てはいけませ/んと…

赤いマント(28)

という訳で「中央公論」を見に行きました。 ・「中央公論」第五十四年第四號/第六百十九號(昭和十四年三月廿三日印刷・昭和十四年四月一日發行・總頁532) 取急ぎ、端末でコピー画質の誌面を閲覧したので、後日、原本或いはマイクロフィルムで確認しようと…

赤いマント(27)

昨日の続きで小沢信男編『犯罪百話 昭和篇』について。 昨日「色を失い」と書きましたが、それは、続けて所蔵している図書館を検索するとともに、内容について記述しているところがないか検索して逢着したpataのブログ「Le passe-temps」の2010/06/01「犯罪…

赤いマント(26)

飛鳥山の佝僂男の噂、そして板橋の肺病患者の噂――実は変態少年、が由来なのかと思いきや、東海道ピストル強盗だの怪しげな瀉血療法の男だの、なんだか妙なものが持ち出されるようになって、どうかと思われるような記事も出て来ます。私は取り敢えず関係する…

赤いマント(25)

やはり昭和14年(1939)2月23日(木曜日)夕刊に初めて赤マントを取り上げたらしい「報知新聞」も、他紙とは違った記事を載せております。 昭和十四年二月二十四日(金曜日)付、第二萬二千三百三十五號の「刊夕*1」、すなわち(一)面の題字の下に「行發日…

赤いマント(24)

そして昭和14年(1939)2月22日(水曜日)には岩佐東一郎が、11月4日付(14)で見たように四谷で町会掲示板に「赤マントの佝僂男」云々の掲示を目にし、そして11月5日付(15)で見たように、銀座裏の料理屋でこの噂に怯える給仕と会話を交わします。このよう…

赤いマント(23)

やはり昭和14年(1939)2月21日(火曜日)に、三面記事のトップに出た記事をもう1つ見て置きましょう。 「萬朝報」昭和十四年二月二十一日(火曜日)付*1、第一萬六千二百七十二號、(二)面、13段組の紙面のうち下4段分は広告で、9段ある記事のうち右上の一…

赤いマント(22)

いよいよ、今のところ私の見た範囲では一番早い「赤マント」と明示した記事を紹介することとします。筆写したメモの字が汚過ぎてこれまで「二十日」付と勘違いしていたのですが「二十一日」付でした。よってここ数日の記事の該当箇所を先刻修正しました。 *…

赤いマント(21)

昭和14年(1939)2月20日(月曜日)の新聞記事について、前回に引き続いて板橋の変態少年逮捕の報道を眺めて置きましょう。 「中外商業新報」昭和十四年二月二十日(月曜日)(朝刊)第一萬九千七十九號*1、(七頁)は「市内版」で「C」とあるのは版次でし…

赤いマント(20)

昭和14年(1939)2月20日(月曜日)に出た記事を、もうしばらく見て置きます。 「都新聞」昭和十四年二月二十日(月曜日)付、第一万八千四百廿九號*1、(十一)面*2、14段組の紙面のうち下2段分は広告で、12段ある記事の12段めにあります。見出しはゴシック…

赤いマント(19)

翌日の昭和14年(1939)2月20日(月曜日)になると、各紙がこの騒動を取り上げ始め「赤マント」という語も登場して来ます*1。 まずは、前回紹介した飛鳥山の一件について、他紙の記事を見て置きましょう。 「國民新聞」昭和十四年二月二十日(月曜日)付、第…

赤いマント(18)

それでは新聞各紙の報道を眺めて置きましょう。 11月3日付(13)に引いた朝倉喬司の赤マントについての考察に「そのころはマスメディアが「噂」を熱っぽくフォローするなどという状況はなかったので」とありましたが、実は「都新聞」は連日赤マントに関連す…

赤いマント(17)

岩佐東一郎『くりくり坊主』には、赤マントについての記述がもう1箇所あります。と云って、まだ途中までしか読んでいないので他にもあるかも知れませんが、新聞記事の紹介に移る前に、これを見て置きましょう。 59番め、221頁8行め〜224頁(11行め)に掲載さ…

赤いマント(16)

一昨日からの続きで、岩佐東一郎「赤いマント」について。 * * * * * * * * * * 本当なら岩佐氏の体験したことを引用するだけでなく、岩佐氏の感慨を――そちらの方にこそ岩佐氏の見識が示されている訳ですから、見て置くべきなのですけれども、それ…

赤いマント(15)

昨日の続きで、岩佐東一郎の随筆「赤いマント」の確認。 * * * * * * * * * * 続く2段落(初出誌4行、単行本3行)は省略して、1行分空けて「その夜」すなわち昭和14年(1939)2月22日晩の記述から、続けて確認して見ましょう。初出誌161頁上段12行…

赤いマント(14)

ここまでに紹介した資料は大抵「赤マント」だのに、「赤いマント」という題にしているのは、10月19日付(1)の冒頭で触れた、高校で初めて聞いたこの手の妖怪(?)の名が「赤いマント」だったことと、この調査を始めるきっかけになった文章の題が「赤いマ…

赤いマント(13)

随分出し惜しみしてしまったようですが、ここで小沢氏が見たと思しき新聞記事を紹介して置きましょう。 それは、小沢氏が見た可能性を示唆していた「讀賣新聞」に載っていたのでした。 昭和十四年二月二十六日(日曜日)付、第二萬二千三百號の「第一夕刊」…

赤いマント(12)

川端氏のおしゃべりはもう少々続くのですが、赤マントとは関係なくなってしまいますのでここでは触れません。 * * * * * * * * * * さて、牧野氏は「週刊アダルト自身」編集部に「三度目の正直」として、これまでとは違う、具体的な「お尋ね」を投…