瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧

赤いマント(339)

昨日まで先崎昭雄『昭和初期情念史』を取り上げたのは、例えば Amazon 詳細ページに引かれる、データベースの内容紹介が検索で引っ掛かったからであった。 内容(「BOOK」データベースより) 女性史と児童史を探る。お葉さん阿部定さん黒ヒョウ赤マント千人…

先崎昭雄『昭和初期情念史』(6)

昭和20年(1945)3月9日夜半から10日未明までの東京大空襲のことは「第24章 東京大炎上の日」に述べてある。 263頁8~11行め、 その間、私の家のものは近所の人たちと共に、すぐ近くの上野寛永寺に避難していた。 十五歳、旧制中学三年最終学期の私は、一人…

先崎昭雄『昭和初期情念史』(5)

・戦後の蹴球部 昨日の続き。260頁13行め~261ページ5行め、 戦時中「安田靴店」であつらえた豚革のシューズもとうに失ったままついに私は、サブ/の部員のを借りたり時には素足でちゃんとインステップに当てたりしながら通してきたの/だが、実は日本敗戦後…

先崎昭雄『昭和初期情念史』(4)

・旧制中学から新制高校 著者の中学時代のことは「第23章 旧制中学の日々」の冒頭、258頁2~10行め、 私が入った旧制の東京府立五中は大正八(一九一九)年四月開校、まさに大正デモクラ/シー&大正リベラリズムの申し子のような学校で、立志と開拓と創作の…

先崎昭雄『昭和初期情念史』(3)

家族に関する記述は、特に後半は流し読みになってしまったので漏れがあるかも知れない。住所も同様で、精読した訳ではないから漏れがあろう。ただ、今後本書の内容を活用する際の指標として、拵えて置きたいのである。 ・河本(先崎)家の住所 52頁15行め「 …

先崎昭雄『昭和初期情念史』(2)

自分の人生を、その時代と絡めながら述べるには余りにもその道具立てに乏しい私には、先崎氏の環境が如何にも眩く見える。婦人参政権運動家だった母、その派出婦人会の派出婦たちの見聞、戦前の、寛永寺の鐘や東京音楽学校の歌声が聞こえて来る下谷区上野桜…

先崎昭雄『昭和初期情念史』(1)

・先崎昭雄『昭和初期情念史―幻影から散華へ―』1997年6月20日 第1刷・定価650円・近代文芸社・290頁・文庫判並製本昭和初期情念史―幻影から散華へ作者:先崎 昭雄近代文芸社Amazon カバー装画は裏表紙にも 2cm ほど入り込んでいる。カバー背表紙には上半分…

赤いマント(338)

・鈴木義昭『風のアナキスト 竹中労』(1)生年⑧ 昨日まで生年月日や幼少期の回想に限ってその記述を拾って見た鈴木邦男『竹中労』124頁11~13行めに、次のように触れてある鈴木義昭(1957生)の本も借りてみた。 ‥‥、鈴木義昭さんは、竹中労の本、それに父…

赤いマント(337)

・鈴木邦男『竹中労』(2)生年月日⑦ 91~141頁「第三章 群れるから無力なのだ」の後半、鈴木氏が東郷健の芝居を襲撃した事件についての鈴木氏を始めとする当事者たちの記憶の食い違いは、回想と云うものが如何に信用ならないものであるかの好例として興味…

赤いマント(336)

・鈴木邦男『竹中労』(1)生年月日⑥ 年明けから1月9日付(335)まで、竹中労の生年月日がいつか、ほぼ KAWADE 道の手帖『竹中 労』のみを資料として、一通り筋を通して見た。 一応、これで良いと思っている。 しかし、検算をしないといけない。 同じ意見を…

柴田隆行『片倉の自然』(5)

一旦切り上げるに際し、幾つか気になったところをメモして置こう。 ・①48頁5行め③48頁1行め「宮沢賢二」は「宮沢賢治」。 ・①50頁11~12行め③50頁7~8行め「‥‥思い返した(ただ残念なことに、この雑木林も近日|中に私立高校/建設の為*1、姿を消すそうだ)…

柴田隆行『片倉の自然』(4)

柴田氏の出身地は①38頁8~9行め③39頁2~3行め「‥‥、多摩川辺り*1|で子供時代/を過した私にとっては、*2旧知のもので、今でもこの声を聞くと少年の日々を|思い出す。」とあるが、①56頁1~8行め③55頁12行め~56頁5行め、 片倉に越して来てから、夏の楽しみ…

柴田隆行『片倉の自然』(3)

2022年2月27日付「八王子事典の会 編『八王子事典』(12)」に参照した、科学技術振興機構のデータベース型研究者総覧「researchmap」の「柴田 隆行/シバタ タカユキ (Takayuki Shibata)」項は、現在(更新日: 2022/09/19)となっている。柴田氏の所属は「…

柴田隆行『片倉の自然』(2)

①1980年初版と③1987年改訂版の比較。細かい改訂が多いので、まづは時期についての処理を拾って置こう。改行位置は①「/」③「|」で示した。 なお、この間に挟まる②1982年改訂版は未見だが、昨日の最後に述べたように、③は②をほぼそのまま増刷したもののよう…

柴田隆行『片倉の自然』(1)

著者の柴田隆行(1949~2021.11)は『八王子事典』の編著者「八王子事典の会」の結成当初からのメンバーであった。 同じく「八王子事典の会」結成当初からのメンバーである相原悦夫の著書、かたくら書店新書51『随想 春秋一会 私の人ごよみ』の記述に拠りな…

『稲川淳二の恐怖がたり』(4)

・竹書房文庫『ライブ全集①'93〜'95 稲川淳二の恐怖がたり〜祟り〜』(4) 本書に載る話のうち、既に検討を始めている首なし地蔵と淡谷のり子の体験談については、別記事にて検討する予定である。今、他の話について細かく検討する余裕はない。ここでは差当…

『稲川淳二の恐怖がたり』(3)

・竹書房文庫『ライブ全集①'93〜'95 稲川淳二の恐怖がたり〜祟り〜』(3) さて、本書に関しては2022年12月28日付「『稲川淳二のすご~く恐い話』(6)」に触れたように、刊行当時本書を見た中山市朗が、自分の話が使われ、かつ話の提供者と云う扱いになっ…

『稲川淳二の恐怖がたり』(2)

・竹書房文庫『ライブ全集①'93〜'95 稲川淳二の恐怖がたり〜祟り〜』(2) 昨日の続きで、1冊めの細目を確認して置こう。 まづ番号が打たれているカバー折返しの題を示し( )に頁を添えた。次いで改行して本文の2行の見出し(上詰め)を「 」に改行位置を…

『稲川淳二の恐怖がたり』(1)

本シリーズは、某区立中央図書館の児童室に全5冊が所蔵されていて、2016年8月16日付「淡谷のり子「私の幽霊ブルース」考証(1)」に1冊めを取り上げ、2016年11月20日付「鉄道人身事故の怪異(11)」に残りの4冊の書影も示して置いた。 なお、中断したままに…

道了堂(116)

昨日の続き。 ・『稲川怪談 昭和・平成・令和 長編集』第三章「怖い場所」の4話め、154~170頁「八王子の首なし地蔵」は、154頁2行め~161頁「お地蔵さんの祟り」に続いて、162~170頁「八王子怨霊地帯」と題する、道了堂跡の首なし地蔵の話になる。冒頭を抜…

八王子市の首なし地蔵(08)

2022年12月2日付(01)の冒頭に、稲川淳二が有名にした(と云って良いと思う)道了堂の首なし地蔵に関連して「‥‥。その上、稲川氏は近著に収録した「八王子の首なし地蔵」で余計な(!)改変を加えたため、今後、新たな混乱の発生が懸念されるのである。」な…

道了堂(115)

・東京都立八王子工業高等学校百年史編集委員会 編集『百年史』昭和62年10月25日 印刷・昭和62年10月30日 発行・非売品・東京都立八王子工業高等学校・587頁・B5判上製本 本書には、既に2022年5月24日付(61)に書名を示さずに予告したのだけれども、道了堂…

赤いマント(335)

・竹中労の赤マント体験(2) さて、竹中労が赤マント流言に接した時期と場所だが、①昭和3年(1928)3月生説の場合、2019年6月25日付(183)に見た田辺聖子と3日違いの生れで昭和9年(1934)4月小学校入学、昭和15年(1940)3月卒業、昭和14年(1939)2月の…

赤いマント(334)

・竹中労の赤マント体験(1) 竹中氏は何処で、何年生のときに赤マント流言に接したのだろうか。 赤マント流言が東京市を席巻したのは、当ブログで縷々述べて来たように昭和14年(1939)2月下旬頃、すなわち昭和13年度の3学期であった。 そこで、竹中氏の生…

赤いマント(333)

・KAWADE 道の手帖『竹中 労』(5)生年月日⑤ 断って置くが、私は別に新説を立てようとしている訳ではない。本書の「竹中労略年譜」が、従来行われいていた①昭和3年(昭和2年度)生、③昭和5年(昭和5年度)生の2説とは別に、②昭和5年(昭和4年度)生説を殆…

赤いマント(332)

どうも、余計な話で長くなった。 ・KAWADE 道の手帖『竹中 労』(4)生年月日④ 寺島珠雄「美的浮浪者の過程 ――私記・竹中労」の〔3〕「年齢と上野・浅草」の続きを見て置こう。136頁下段2~18行め、 年齢にこだわる理由はあと回しにもう少し計算してみる/…

赤いマント(331)

一昨日からの続き。 ・KAWADE 道の手帖『竹中 労』(3)生年月日③ それでは寺島珠雄「美的浮浪者の過程 ――私記・竹中労」から、「竹中労 年譜」に関する記述を見て置こう。 まづ〔1〕「夜から朝へ」にて、年齢の問題を次のように遠回しに切り出す。133頁上…

赤いマント(330)

昨日の続き。 ・KAWADE 道の手帖『竹中 労』(2)生年② 巻末の編集部 作成「竹中労略年譜」には、生年月日を昭和5年(1930)3月30日生としている。だから平成3年(1991)5月19日に満61歳で死去したことになる。 ところが、収録されている文章や対談等を読ん…

赤いマント(329)

私は4年前に「赤マント流言」に関する本を出したいと当ブログに書いたのだが、実はその後、消極的になっている。 構想としては『昭和十四年の「赤マント」』と題して、新聞・雑誌・日記等から拾った当時の記事を順を追って辿りながら、赤マント流言の発生・…

黒井千次『漂う』(2)

昨日の続き。 ・年代順の整理 この連載は連想で繋いでいて、黒井氏の経歴を順を追って辿っていない。 そこで、2022年9月3日付「黒井千次『たまらん坂』(3)」に見た、講談社文芸文庫版『たまらん坂』241~250頁、篠崎美生子編「年譜」も参照しながら、年代…