瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森満喜子「濤江介正近」(5)

なかなか先に進まないが、瑣事に拘泥わるのが当ブログの謳い文句なので、もうしばらく名和弓雄『続 間違いだらけの時代劇』の「沖田総司君の需めに応じ」の解釈(のやり直し)を続けよう。 とにかく「浮州」銘の刀が出て来ないのである。偽物だとしても――近…

森満喜子「濤江介正近」(4)

昨日の記事は、名和弓雄が森満喜子と村上孝介を引き合わせた(のだろう)と云う筋まで引いて置くつもりだったのである。 ところが書き始めて、改めて名和弓雄『続 間違いだらけの時代劇』を読み返し、その後仕入れた知識とも照らし合せて考えて見るに、どう…

森満喜子「濤江介正近」(3)

昨日の続き。――『沖田総司抄』は短篇小説8篇を収録するが、3篇め(47~96頁)が「濤江介正近*1」である。「あとがき」はまづ244頁2~3行め、 人間は一生のうちに様々な人との縁ができるものである。沖田総司と彼を廻る人びとについて/書いてみた。 として、…

森満喜子「濤江介正近」(2)

私は高校3年生のときだけ、誰に誘われたのだったか忘れたが文芸部に所属して、小説みたいなものを書いたことがあるのだが、そのとき隣のクラスの新選組ファンの女子生徒が実に堂々たる、長州の間者として新選組に紛れ込んだ若者を主人公にした小説を書いて、…

森満喜子「濤江介正近」(1)

森満喜子の本を何冊か借りて来た。いづれも版元は新人物往来社で四六判上製本である。 ・『沖田総司抄』昭和四十八年十二月十五日 第一刷発行・昭和五十二年十一月 五 日 第七刷発行・定価980円・246頁沖田総司抄 (1973年)Amazon・『沖田総司幻歌』昭和四…

全国歴史散歩シリーズ13『東京都の歴史散歩』(14)

・板橋刑場 ①文庫版『下』43~60頁「中山道と岩槻街道」は45頁~「一 巣鴨界わい」49頁5行め~「二 板橋宿と川越街道」55頁5行め~「三 岩槻街道」の3節、その「二」節めは49頁6行め「板 橋 宿」51頁~「志村一里塚*1」52頁9行め~「松月院と赤塚城跡*2」53…

全国歴史散歩シリーズ13『東京都の歴史散歩』(13)

・鈴ヶ森刑場 ①文庫版・②新書判・③B6変型判とも、小塚原刑場について述べた箇所では、必ず鈴ヶ森に言及してあった。今回は③から遡る形で見て行こう。 ③B6変型判『中』山手223~254頁「東海道に沿って」は6節から成り、244~247頁「➍日本考古学発祥の地,大森…

全国歴史散歩シリーズ13『東京都の歴史散歩』(12)

昨日の続きで③B6変型判『上』下町の記述を見て置こう。 ・小塚原刑場(3) ②新書判『上』下町は7章から成り、「皇 居」「皇 居 周 辺」「日本橋・銀座」「上野の山周辺」「浅 草」「江 東」「日光街道と葛飾・江戸川」の順に排列されていたが、③B6変型判『…

全国歴史散歩シリーズ13『東京都の歴史散歩』(11)

昨日は以前借りたときには気付かなかった訂正シールに気付いてその確認なぞをしてしまった。――こんなのはまぁ詰まらない間違いの確認に過ぎないが、大きな変化のあった場所を詳細に見て行くと、昔の夏休みの自由研究くらいには十分なりそうだ。そして今の東…

全国歴史散歩シリーズ13『東京都の歴史散歩』(10)

昨日の続き。 私が借りている①文庫版は『上』1版10刷『下』1版7刷、②新書判は上中下3冊とも1版1刷、③B6変型判も上中下3冊とも1版1刷である。 ・小塚原刑場(1) まづ、小塚原刑場について見て置こう。 ①文庫版『下』61~72頁「日 光 街 道」63~68頁…

全国歴史散歩シリーズ13『東京都の歴史散歩』(09)

久し振りに①文庫版上下2冊、②新書判上中下3冊、③B6変型判上中下3冊を揃えて見ました。 と云うのは、大和田刑場と云う、現在の八王子市に「あった」ことは確かだと思うのですが、実態がまるでよく分からない刑場が、この20年程の間に「江戸三大刑場の一つ」な…

赤堀又次郎伝記考証(064)

『文明六年本節用集』の伝来については、5月9日付(049)に見たように川瀬一馬『古辭書の研究』に説が示されていた。川瀬氏は『文明六年本節用集』を実見する以前「或は鹿島氏櫻山文庫の藏本なるべし。」との推測を持っていた。――恐らく桜山文庫に現在も所蔵…

赤堀又次郎伝記考証(063)

・鹿島則泰の鹿島神宮宮司退任(2) 昨日の続きで『鹿島人物事典』51頁上段2~11行め「鹿島敏夫」項を見て置こう。まづ見出し「鹿 島 敏 夫*1 明治四年(一八七一)―大正一五年(一九二六)」があり、最後の行は下詰めで〈鹿野〉とのみ、執筆者は鹿野貞一で…

赤堀又次郎伝記考証(062)

昨日の続き。 ・鹿島則泰の鹿島神宮宮司退任(1) 鹿島則泰は、八丈島で名前も伝えられていない女性から生れた。5月11日付(051)に見た鹿島敏夫『先考略年譜稿』にも引いたように、鹿島則文には八丈島に遠島になる前、既に妻(植松氏)鉉子がいたが子はな…

赤堀又次郎伝記考証(061)

・鹿島則泰の歿年(2) 昨日の続き。――無位無冠布衣の者がいきなり問合せたところで、普通まづ相手にしてもらえない。そのために肩書きがあるのである。 世の中には大した業績でもないのに飛んでもなく脚光を浴びて上り詰めてしまったような人もいるし、特に…

赤堀又次郎伝記考証(060)

・鹿島則泰の歿年(1) 鹿島則泰と云う名は別の調べ物の機会にも度々目にしたことがあったはずなのだが、特に注意を払うこともなく過ごしてしまったのだが、川瀬一馬が赤堀氏は鹿島則文の女婿と指摘しているのを見て初めて、5月10日付(050)に述べたように…

大和田刑場跡(28)

昨日、濤江介正近の年齢、それから正親同人説の参考になろうかと刀剣販売店がネット販売している「正近」もしくは「正親」銘の刀を取り上げて見た。 美術品には偽物が少なくないことは承知している。私が大学院の修士課程のときに学会発表し、博士課程のとき…

大和田刑場跡(27)

11月17日付(19)に触れた大沢都志夫「酒井濤江介正近について」(「刀剣と歴史」第六九三号)はまだ閲覧の機会を得ない。この間暖かかったときに油断して急に寒くなったために風邪を引いてしまった。女子高講師時代、一冬に一度は咽喉を潰していたのを思い…

大和田刑場跡(26)

・名和弓雄「沖田総司君の需めに応じ」(4) やはり細部に拘泥って当記事だけでは何のことやら分らぬことになるだろうから、この名和氏の文章の要領を得たい人は、東屋梢風のブログ「新選組の本を読む ~誠の栞~」の、2015/11/04「名和弓雄『間違いだらけ…

大和田刑場跡(25)

・名和弓雄「沖田総司君の需めに応じ」(3) 例によって細部に拘って何のことやら分らぬことになるだろうから、この名和氏の文章の要領を得たい人は、東屋梢風のブログ「新選組の本を読む ~誠の栞~」の、2015/11/04「名和弓雄『間違いだらけの時代劇』」…

大和田刑場跡(24)

・名和弓雄「沖田総司君の需めに応じ」(2) 昨日の続きで、まづ「捕物展」についてだが、もちろん昭和期の地方の百貨店の催事なぞは図録でも出していない限り、調べる手懸りがこれまでは摑めなかったのだが、国立国会図書館デジタルコレクションの公開範囲…

大和田刑場跡(23)

昨日の続きで、今回から名和弓雄『続 間違いだらけの時代劇』139~210頁「[4] 珍談奇談骨董談義*1」22節、その10節め、166頁10行め~171頁2行め「沖田総司君の需めに応じ*2」の内容を細かく見て行くことにする。 但し私はどうしても細々したところが気にな…

大和田刑場跡(22)

11月17日付(19)の後半で触れた、東屋梢風のブログ「新選組の本を読む ~誠の栞~」の、2015/11/04「名和弓雄『間違いだらけの時代劇』」に紹介されていた、名和弓雄(1912.1.3~2006.9.1)の次の2冊を借りて来た。 ・河出文庫『間違いだらけの時代劇』一九…

白馬岳の雪女(104)

以下、2021年8月22日に書き上げて23日に補訂して、仮に「白馬岳の雪女()牧野陽子の小松和彦説?」と題して保存して置いたものを、殆どそのまま投稿する。 「白馬岳の雪女」については一昨年の秋、信越の古書店からネット注文で長野・飯田・富山で戦前・戦…

大和田刑場跡(21)

前回確認した長谷川伸『相樂總三とその同志』だが、出来れば依拠した資料に遡って、その原文を引用したいところである。但し原資料を探り当てるのは別に幕末にも相楽総三とその同志たちにも大して興味がある訳でもない私には甚だ面倒である。漸く国立国会図…

大和田刑場跡(20)

私は何も大和田刑場の存在自体を否定しようとしている訳ではない。差当り「三大刑場」云々と喧伝するのを控えてもらいたいと思っているだけである。 幕末に大和田刑場が処刑場であったことを窺わせるものとして、次の本の記述を抜いて置こう。 ・長谷川伸『…

大和田刑場跡(19)

どうも大和田刑場と云うものの実態がよく分からない。小塚原・鈴ヶ森に並ぶ「江戸三大刑場」などと云うのは今世紀に入ってから何となく定着してしまった、とんでもない与太だと思っている。そもそも「三大刑場」なる呼称にしてからが2000年までの相当数の文献…

大和田刑場跡(18)

・刀菊山人「濤江介正近という珍刀」(2) 昨日の続き。――刀菊山人こと宮崎三代治は以上のような調査結果を引提げて「福永先生」すなわち福永酔剣の意見を徴している。15頁下段5行め~16頁上段15行め、 ‥‥、福永先生にお伺いしましたところ、正近には二代/…

大和田刑場跡(17)

酒井正近は天保から明治初年に掛けて、八王子の南、武蔵国多摩郡小比企村に住んでいたらしい。 しかし北に隣接する武蔵国入間郡越生に移っていた時期もあったようだ。 もちろん、私はこの刀工のことを知っていた訳ではないので、国立国会図書館デジタルコレ…

大和田刑場跡(16)

さて、前回引いた後藤安孝「武州下原刀の研究(十九)」にて、後藤氏は酒井正近の処刑を明治三年(1870)、場所を「竹ノ鼻処刑場(八王子市新町)」としていた。 2022年11月7日付(01)に、東京都八王子市『ふるさと八王子』の「大和田河原の刑場」を取り上…