瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(08)

 話例・3のB 殺された人からの呼びかけ
 白馬岳の山の中に一軒だけ旅館があった。ある吹雪の夜中にドンドン、ドンドンと戸を叩く人がいるので、奥さんが出てみると「道に迷ったから泊めて下さい」と一人の男の人が立っている。「いいですよ」と言おうとしたら、子供が急に出て来て男の人の顔を見て、ギャーギャー*1泣き出した。泣き声を聞いたおばあさんも奥から出て来た。男の人を見て変な予感がしたから*2、「泊めるのはやめなさい」と言ったので、奥さんは余り子供も泣くしおばあさんも真剣な顔だし、ちょっと怖くなって「今日はだめなんです」って帰した。次の日の朝、刑事が来て写真を見せて「この男知りませんか」*3「あ、昨*4来た人だ」と言ったら*5、麓の方で女の人を殺した男だって*6。後で子供に「どうしてあのおじさん恐かったの」って聞いたら、「おじさんの肩に血だらけの女の人がおぶさって笑っているから怖くなった」って*7
                                      長野県・松谷あけみ/談*8――


 初出誌ではこの「死者からのサイン」*9話例・3のB(85〜86頁)には「分布」として3つしか挙げておらず、1つは「○青森県。出典・大高興*10著「津軽霊界下界」(北の街社)」であり、次に「○埼玉県秩父市。出典・昭和五十五年六月十四号『徴笑』より。」これはもちろん誤植で単行本では「出典・「微笑」昭和五十五年六月十四日号。」であるが、ちくま文庫版には掲載されていない。ちくま文庫版『現代民話考』の各巻にある「文庫版まえがき」には、筑摩書房の担当者から「ぜひという話は差し込んでください」とのことで新たな挿入があるのだが、このように削除もあるので、うっかり単行本か文庫のどちらかにある話を、もう一方にもあるつもりで言及したりすると、探したけど見当たらないなんてことになる恐れがある。それはともかく、初出誌の「分布」3つめが「○長野県白馬岳。本文。回答者・松谷あけみ(東京都在住)」なのである*11
 この話、大筋に於いて違いはなく、「蓮華温泉の怪話」と同根の話が転訛したものであろう。ここでもやはり「白馬岳の山の中」ということで「長野県」と決めつけてしまっている(1月11日付(05)参照)けれども、新潟県蓮華温泉に違いない。それにしても、「写真」が出てくるとは随分近代化している。――だいたい、時期の明示されない話の細部は、話されたときの知識に合わせて合理化されるものである。書いたものなら別に注や解説の形で補足することも出来るから、分かりにくい細部に改変を加えなくとも何とかなる。しかし、口頭で「話す」場合、本筋にかかわらない細部の説明を正確に精密にしようとして手間取っては、内容の伝達の障害になって聞き手の興味と集中力を殺ぐばかりである。昭和50年代の人間が刑事の聞込みについて語れば、当然その刑事は犯人の写真を持っているのである。ともかく、これではこの話を「木曾の旅人」に先行するもの(原話候補)と思うはずもなく、「木曾の旅人」の転訛(口承化)と判断して済ませていたのである。
 さて、初出誌「民話の手帖」の確認により、昭和57年(1982)以前に、この話が東京でも行なわれていたことが分かる*12が、アンケート葉書という調査方法の制約からか、話者の年齢層だとか、どういう経緯でこの話を聞いたのか、といった背景は見えて来ない*13。これは『現代民話考』全体に感じられる隔靴掻痒な点で、初出誌を確認すればいつ頃の調査なのかは判明するものの、単行本や文庫版にはこの雑誌での調査時期を明示していないので、いつ頃記録された話なのかがよく分からない。初出誌にない話も少なくないし、ちくま文庫版で新たに追加された話はなおさらである。文献から採っている話も少なくないが、その文献の刊行年などは注記されていない。話によっては「数年前(昭和五十年頃・註/松谷)」と注記を入れたりしているが、これも「数年前」とあったから入った注記なのである。せめて刊年を、巻末などにでも一覧にまとめて記載してくれていたら、それより前ということで、話の行なわれた時期がもっと見当を付けやすくなるのにな……と思ったものである。もちろん、今はネットの発達で書誌情報が居ながらに検索できるようになったから、自分で調べれば良いのだが、初め単行本で読んだとき(昭和の末年)には、切実に感じた。多分に私の性格的なものだとは思うが。
 もちろん、話の存在を知らしめてくれたことだけでも感謝すべきで、それ以上を望むなら自分で初出誌に当るなどして確かめれば良い。その気になればこんな風に詮索することも、難しくはない訳で……手間と時間はかかる、が。
 それはともかく、「蓮華温泉の怪話」では「主人はこの春妻を失つて今年八歳になる男の子と侘しい二人暮しだつた」のが、『現代民話考』では「おばあさん」「奥さん」「子供」の3世代で、主人は応対していない。女子供しかいなかったとしたら旅館でしかも吹雪の夜中であっても断る理由にはなろうか。
 ちなみに「木曾の旅人」も「重兵衛」という杣(木こり)と「そのころ六つの太吉という男の児と二人ぎり」であった。
 余談ばかりで長くなっているが、この、応対する側の人数が増える、という現象は何に由来するのであろうか。それは、この話が何によって世に流布したのか、という問題と関連がありそうなのである。(以下続稿)

*1:単行本「はげしく」以下文庫版も同文。異同箇所の本文の文字を薄くした。

*2:単行本「のであろう」

*3:単行本「という。」

*4:単行本「夜」

*5:単行本「答えると」

*6:単行本「という」

*7:単行本「そういった」

*8:単行本「平岡崇子/文」ここの文庫版との異同は既述。

*9:初出誌の「現代民話考 その十二/死の知らせ 死者からのサイン」では、「死の知らせ」「死ぬ時姿を見せる」「死の前に出歩く生霊」「死んだあと姿を見せる」「お寺にくる死者」「死者からのサイン」に分類されている。

*10:あの大高博士(1月6日付)である。

*11:松谷あけみは瀬川拓男・松谷みよ子の次女で昭和41年(1966)生。当初、昭和57年当時高校生の娘から聞いた話を記録したが、単行本収録時には、娘に話題を提供した人物に遡って、本文も修正した、ということであろうか。

*12:文庫版では回答者の住所変更のため、回答当時、回答者がどこにいたのか、つまりこの話が当時どこで行なわれていたのか、が分からなくなってしまっている。

*13:尤も、アンケート葉書の質問項目はこういう点にも注意を払ってはいる。後日紹介するつもり。