・本を読みにくる亡霊(51〜63頁)
この話については、笹川吉晴のブログ「笹川吉晴の徒然怪奇帖」2010年6月15日付「美妙な怪談」に、話の内容とその疑問点とが整理され、笹川氏は山田美妙(1868〜1910)の孫で、幽霊となって現れたという美妙の長男旭彦の子である作家加納一朗(1928生)に直接確かめています。その上で、
この加納氏の話と、「本を読みにくる亡霊」では、幽霊出現の動機に違った方向性がついている。ディテールの齟齬を踏まえれば、「本を〜」のほうがいささか怪しいとも思えるが、塩田→福田→村松と伝播するうち、どこかでバグが入り込んだのかもしれないし、加納氏のほうに記憶違いが無いとも言い切れない。あるいは、幽霊が何度か、違う状況下に現われたのかもしれない。
と結論しています。私にはこれに付け加える材料もありません。ただ、ここまでに検討した2話の検討結果、1月15日付(04)と1月21日付(06)とを踏まえた上で私見を述べるなら、村松氏の書いていることの方が(名前の読み方を間違えていることからしても)信用出来ない、と思うのです。前者の女生徒に実在のモデルかいたかどうかは分かりませんが、後者は実在の人物について、明らかに事実に反することを、意図して書いています。この話についても、同様に考えた方が良さそうに思われるのです。
それからこの話にも、52頁に幽霊が現れた家の主人である「塩田良平博士」と、幽霊に間違われた「そのころの福田清人先生」の顔写真が並べて掲載されており、さらに53頁や62頁にある堂昌一の挿絵がこの2人をリアルに再現していて、話の真実味まで感じさせる効果を上げていますし、福田氏に「そっくり」だという「旭彦さん」の写真はないのですが、その話題が出ている60頁には「山田美妙」の、晩年の落魄した空気を漂わせた写真が掲載され、この幽霊目撃談に現実味を与えているのですが、これも、学校の写真や友人の写真を掲載した、先の2話と同様の手法というべきなのでしょう。
ちなみに、山田旭彦(1897〜1934)の訃報が出たとされる「Y新聞」(61頁)は読売新聞と思われますが、見つけられません(キーワード検索とその頃の紙面を一通り見ただけなので、見落としがないとは言い切れない)でした。もちろん、村松氏のいう日付に出ている筈はないのですが。