瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

コメント欄について

 初めに、コメント欄は書き込めるが、アップしない、と書いたことを忘れて、うっかりアップしてしまった。それというのも、1ヶ月以上、コメント皆無の状態が続き、本人でもどういう方針だったか、すっかり忘れていたのである。
 確かに、リンクを貼らせてもらった恩義もあるので、方針ですから、と無下には出来ない。そこで、方針を変更して、リンクや情報提供関連のコメントはアップします。感想や御忠告などについては、これまで通り、というかこれまで通りも何も、コメント自体全くなかったのだが、アップしません。
 コメントについては、付くと嬉しいだろうなぁ、とは思うものの、噛み合わない議論に発展しているところも多々あって、私のような議論が好きでない(勝とうとしたがる)人間には向いていないとつくづく思うのです。それに、私の場合、書いた記事は一応、自分が興味を持って調べた事柄ではあるのですが、特にその道の専門家という訳ではありません。たぶん、その道の専門家ならもっと実のあることをやって、やらないような瑣事ばかりです。ですから、調べた以上の知識はないので、「これについてはどう思うか」だの「こんな基本文献も見てないのか」というお叱りだの、後者については有難く拝聴して今後の参考にいたしますが、前者については正直困るのです。そんな意見はたぶん、ありません。いえ、私もこの年ですから、生娘のように「何も知らない」訳もないですし、好悪が激し過ぎて、人に勝とうとし過ぎて、その結果として、思い込んどる人は説得出来ひん、ということを身に染みて感じたので、端々に毒舌や皮肉が露呈してしまうでしょうが、議論しようという気はないのです。
 という訳で、当ブログ内ではコメ返しをしません。必要があればコメント欄ではなく、記事として書くつもりです。
 要するに、私は調べることが好きなだけの人間で、それ以上の意味とか意義とか、そういう話はあまり好きではないのです。それから、かつて、博覧強記ということに憧れて、本をたくさん読まなきゃいけない、との強迫観念にとらわれ、しかし記事を御覧の方はお察しのことと思いますが、速く量をこなすという読み方がまるで出来ないので、三十を越す頃に諦めました。それに、物を知らないよりは知っていた方が良いに決まっていますが、知っていればいいというものではない、という事例を、博覧強記を以て鳴るある人物についていくつか見付けてしまったので(嫌らしい読み方をしているせいですが)、そのことは時期が来たら当ブログに書くつもりです*1が、今は重箱の隅つつきを本分と心得て、孜々として(?)努めるまでです*2

*1:しかし、ファンが多いらしいのでそれこそコメント欄を閉鎖してから書くべきかも知れない。

*2:投稿当初あった後半はタイトルにあまり関係がないので削除(22:30)。別に残して置いても構わないのですが、同じことならもっと練ってから出します。