瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田中英光『オリムポスの果實』(02)

 2月18日付(01)に、新潮文庫のカバーのことを書いた。
 その後、図書館に行ったついでに新潮文庫の『オリンポスの果実』を出してもらった。モデルについて書いた本を読んだのは3年前の3月、新潮文庫で読んだのは昨年の3月である。そのときは開架の文庫棚に並んでいたはずが、いつの間にか閉架(書庫)に移されていた。しかし、書棚になかったのでOPACを検索したことで、新潮文庫が3冊所蔵されていることが分かり、3冊とも出すように請求することが出来た。
 いつもの閉架出納よりも時間がかかって出て来たのは2冊だった。1冊は見当たらなかったという。たまに怒って食ってかかる人も見かけるが、よくあることだしその館員(最近は委託も多いが)に苦情を言っても始まらない。時間もなかったので取り敢えず2冊とも借りて、奥付を見るとまさに先日書いた推測を裏付けるものであった。
 2冊とも「カバー 難波淳郎」で、全く同一のカバーである。汚い方が約1年前に借りて読んだ、「昭和六十年十一月十日五十刷」である。もう1冊は新本と見紛うばかりの「昭和六十一年五月十日五十一刷」であった。やはり難波淳郎カバーの五十一刷が存在していたのだ。
 前回、背表紙について書いていなかった。表紙は全体に白地だが、上部に「オリンポスの果実」中央やや下寄りに「田中英光」そして下部に、まず角切り長方形の枠に[た 6 1]、そのすぐ下に横長の長方形内に横書き2行で「新潮/文庫」そのすぐ下に「76」「―1―」1字分開けて最下部に「240」と入る。
 五十刷の方は、実はブックコートフィルムのサイズに合わせてカバー折返しが裁断されてしまっていたのだが、五十一刷の方は完全であった。そこでその折返しについて記述しておく。表紙折返しは8.5cmあるが、右下に「カバー 難波淳郎」と縦書きである他は真っ白で何も印刷されていない。裏表紙折返しも同じ幅があり、12.0×6.0cmの枠があって上部に横書きで「新潮社の四大辞典」とあって、縦書きで「新潮世界美術辞典」「〈新装/改訂〉新潮国語辞典現代語・古語」が大きく、そして残りの2つ「新潮世界文学小辞典」「新潮日本文学小辞典」は小さく1行の上段下段に定価のみ・説明文なしである。
 このうち、現在でも出ているのは『新潮国語辞典』のみで、第二版になっている。

新潮国語辞典―現代語・古語

新潮国語辞典―現代語・古語

 カバーの話に戻って、裏表紙折返しの左下隅に横書きで小さく「カバー印刷 錦明印刷」とある。以前見た五十刷では広告の左の枠線と、「カ」の左端のみが見えるのみであった。しかし、五十刷も五十一刷も、カバーは全く同じものと見て良さそうだ。
 これによって、松本孝志のカバーに切り替えたのは五十一刷の増刷に際してではなく、五十一刷も初めは難波淳郎のカバーで出され、その後、平成元年(1989)4月1日の消費税導入に際して、増刷(五十一刷)とは無関係にカバーだけを付け替えたであろうことが分かった。そうでないと同じ五十一刷で、難波淳郎のカバーと、松本孝志のカバーとが存在する理由が説明できない。とにかく奥付に「定価はカバーに表示してあります。」と断っておいたからこそ、出来た藝当と言えよう。
 こうなってくると、カバーの増刷はどのようにやっていたのか、本体の増刷に合わせてやっていたのか、それとも本体とは関係なしに多めに刷ってあったのか、とか、――五十一刷を松本孝志のカバーに付け替えた際、カバーのない状態で倉庫に保管されていた五十一刷に新たに付けたのか、それとも難波淳郎のカバーが付けてあったのを廃棄して付け替えたのか、とか、いろいろと可能性を考えてしまうが、これは知っている人がいるはずだから、余計な推測はしないで置く。