瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

高木敏雄『人身御供論』(3)

 今回は、この『人身御供論』の編者山田野理夫による解説「高木敏雄と人身御供論」について、見ていきたい。
 2月19日付(2)にも触れたように、昭和48年版では本文とは別に頁付(1〜21頁)があるが、平成2年版では本文に連続させている(247〜267頁)。仮に昭和48年版の頁付で示す。
 まず、「高木敏雄の「伝説の史的評価」」(1〜4頁)として、次のように書き出している。

 高木敏雄の死後二十一年目の昭和十八年に柳田国男は次のようにしるしている。「高木君とは一年半ほどの間、殆ど毎日のように往来していたことがあった。その頃はまだ同君の学問が、現今の如く盛んに行われぬ時節であって、書物や資料の蒐集に色々の不自由があったのみで無く、一般に外部の事情には慷慨せねばならぬようなことが多かった。」その外部の事情とは高木が本来ドイツ語教師なので神話伝説の研究が異端視されたものであったという。さらに柳田は「研究の興味が頂点に達したと思う頃は、内からか又外からか、新たな原因が現われて、その為めに学問を中絶するといった。そうして又自らその天分を理解していたのだから、恐らくは煩悶の生活であったろうと思う」ともらしている。柳田としげく交際のあった頃には多くの論文を発表しているが、それが僅かの間に途絶えてしまった。後で触れるがそのときの論文の多くを本書に収めたのである。
 話を前に戻すと、高木は当時の歴史地理学者(この場合、沼田頼輔の「日本民俗の起源*1」中川泉二の「胆吹山の荒神と玉倉部の泉」に対して)の神話伝説の解釈に大いなる不満をもっていたものである。……


 「前に戻す」とは、この節の題である「高木敏雄の「伝説の史的評価」」に戻すということであろうが、ここで山田氏は「「歴史地理」(二十三巻一号)」に発表した「「伝説の史的評価を論じて所謂合理的解釈の妄を弁ず」(単行本未収録)」を「抄録して高木敏雄の論文の参照*2にして頂こう」として、以下この論文を抄録しつつ高木氏の説を確認していく。
 この「伝説の史的評価を論じて所謂合理的解釈の妄を弁ず」はその後、高木敏雄/大林太良 編『増訂日本神話伝説の研究2(東洋文庫253)』(1974年5月24日初版第1刷発行・1988年12月20日初版第6刷発行・平凡社・醞+447+17頁)5〜19頁に全文が収録された。『日本神話傳説の研究』は岡村千秋編の高木氏の遺稿集で、大正14年に岡書院から、昭和18年に荻原星文館から刊行されている。高木敏雄/大林太良 編『増訂日本神話伝説の研究(東洋文庫)』は、昭和18年版を底本に、編成を改めて2分冊とし、新たにいくつかの論文を増補したものである。今、手許に昭和18年版がない状態であるが、大正14年版(及び東洋文庫版)を見るに、巻頭に「大正十四年四月」付の柳田國男の「序」があるのだが、それが山田氏が「高木敏雄の死後二十一年目の昭和十八年に柳田国男は次のようにしるしている」として引用する文章と同文なのである。山田氏がこのような勘違いをした原因は、大正14年版・昭和18年版そして東洋文庫(増訂)版の異同について述べる際に確認するつもりなので、今はこれ以上追求しない。
 山田氏の解説に話を戻す。次の「「人身御供論」について」の節(5〜15頁)は、さらに「1その編集」「2その解説」に分かれるが、「1」はごく短い(5頁)。山田氏の編集方針については2月14日付(1)にも宝文館版『日本伝説集』で刊行前の本書について触れた箇所を引いて置いたが、最終的なものがこの「1その編集」だから、ここに全文を引用しておこう。

 高木敏雄が生前発表されたエッセイのうち、もっとも長篇と目される人身御供論を主軸として収録したものである。単行本未収録は魔除の酒(「郷土研究」一―八)西行法師閉口歌(「郷土研究」一―三)住居研究の三方面(「郷土研究」一―五)三篇である。
 収録に当って原文を侵さぬ範囲において改めるとともに、ルビを附し、さらに高木が本文中に引用してある漢文には、立正大学野村耀昌教授の協力を得て和訳してある。これに拠って読者は非常な便宜を得る筈である。
 訳註としたのが和訳した文章で、各項目のそのおわりには………として本文との区別を判にしてある。 *3引用原書で解るように高木の学識の深さにおどろかされるが「法苑珠林」は抄録ではあるが、和訳されたのはこれが最初である。


 「単行本未収録は……三篇である」とあるうち、本文73〜75頁「魔除の酒」は『増訂日本神話伝説の研究2』207〜209頁に収録されている。これは「東北地方の説明伝説」の紹介であるが、(仙台市宮町 菅野菊松君報告)とある報告者は、『日本傳説集』にもいくつかその報告が採用されている。
 本文156〜158頁の「西行法師閉口歌」については、この「2その解説」14頁に次のように述べている。

 また本書収録の「西行法師閉口歌」の執筆動機となったのは「郷土研究」一巻一号に山口笑が投稿した「西行法師の閉口せし山賤の歌」の一文である。参考にその全文を掲げる。


 以下、その全文を引用している(14〜15頁)。これがないと「西行法師閉口歌の伝説について、市丸黙庵君からの投書に、……」と書き出される「西行法師閉口歌」の意図は解しづらいから、適切な処置である(『増訂日本神話伝説の研究』には収録されていない)が、これは『日本傳説集』の「民間説話篇第二十一」の「(イ)西行法師と山賤の歌」(246〜248頁*4)とほぼ同文、こちらが文語文であるのを『日本傳説集』は口語文に改めたものなのである。すなわち『日本傳説集』5頁「凡例」*5の(一)にいう、「著者は自ら筆を執つて、報告者の文章を綴直した。」の実例として、注意して置いて良いであろう。ただ気になるのは、山田氏は『日本傳説集』では口語文の原文を歴史的仮名遣いのままにしていたのが、『人身御供論』では何故か文語文まで現代仮名遣いに改めていることなのだが。
 ちなみに『日本傳説集』では報告者は(山中共古君)とある。「郷土研究」をまだ見ていないのでどの段階で生じた誤りなのか確定は出来ないが、やはりこの「山口笑」は「山中笑」の誤植なのであった*6。(以下続稿)

*1:後述する『増訂日本神話伝説の研究2』5頁では「起原」となっている。

*2:「参考」であろう。

*3:「判にしてある」原文ママ。なおこの1字空白(原文では行末)も原文ママ

*4:宝文館版215〜216頁、ちくま学芸文庫版224〜225頁。

*5:宝文館版5頁、ちくま学芸文庫版9頁。

*6:2015年2月8日追記】2004年3月20日発行の熊本大学「文学部論叢」第81号(地域科学篇)掲載の鈴木寛之「『郷土研究』創刊号と高木敏雄」の46頁注(13)に「郷土研究」創刊号(大正二年三月十日發行)に於ける誤植であることが指摘されている。