瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

新聞夕刊の日付(1)

 一夜明けて、いよいよ惨状が明らかになり、報道の不安を煽るような調子は薄まった。ただ午後になって原子力発電所の「非常に深刻な事態」が問題になっている。昨日、地震に遭遇した勤め先ではテレビを見られなかったので、職場の被害はそれほどではなかったが何が起こっているかよく分からず、帰宅してからテレビを見て惨状を目にして、なかなか寝られなくなってしまった。風呂の追い炊きスイッチを押したもののなかなか沸かず、実はガスメーターが揺れを感知してガスを止めていたためだったのだが、それもあって明け方まで起きていた。
 スマトラ沖地震(2004年12月26日)のバンダ・アチェの映像を当時繰り返し見ていたのに、それ以前に得ていた知識が先入観になってしまって、津波と言えば明治29年(1896)6月15日・昭和8年(1933)3月3日の三陸津波など、リアス式海岸を襲うものという偏見が拭えなかったが、今回、宮城県南部沿岸や福島県浜通りの遠浅の海と平地を襲った津波を見て、日本でも過去に、天武天皇十三年(684年)十月壬辰の「大地震」で「土左国田苑五十余万頃。没為海。」(『日本書紀』巻第二十九)は津波による水没だとされているし、多賀城下が壊滅した貞観三陸津波(869年)、浜名湖汽水湖になった明応地震(1498年)の大津波や、奥尻島青苗を壊滅させた北海道南西沖地震(1993年7月12日)を見ても、別にリアス式でなくとも、平坦で湾曲のない海岸線であっても津波は襲って来ていたことに、改めて気付かせられた。――よく高台に逃げろ、と言われるが、これはやはりリアス式の、背後に山の迫っている土地を想定した教訓で、宮城県南部沿岸地方のような平地は想定していないように思われる。今回、ヘリコプターから撮影の、リアス式海岸の港町の映像で、鉄筋コンクリート建築の3〜4階まで波に洗われていたのを目にしたが、平地ではそんなに波高は高くはならないだろうから、差し当たり鉄筋コンクリートの、堅固な建造物(学校・総合病院)の最上階にとにかく逃げる、というのが現実的なのだろう。

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 明治の三陸津波の際には、新聞雑誌が記者を特派したり、被災地の写真が販売されたりしている。これらについては以前から興味を持っている人物が絡んでいるので、ぼちぼち調べていたのだが、そのうち報告したいと思っている。

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 さて、過去の災害記事を調査するには、新聞の縮刷版が有力な資料になる。新聞には不正確な情報も少なくなく、検証は必要であるが、当時の人々がどのように災害を受け止めたのかを感じるには新聞に勝るものはないであろう。そこで便利なのが新聞のデータベース、朝日新聞なら「聞蔵Ⅱビジュアル*1」の「朝日新聞縮刷版*2」である。Asahi.comの「朝日新聞有料記事・写真検索のご案内」に、

掲載日や見出しのほか、人名や地名、事象名などのキーワード、分類で検索し、ヒットした記事が載った紙面イメージ(PDF)を拡大・縮小しながら閲覧できます。

とあって、全文検索ではなくキーワードに採択されていなければヒットしないので、やはり自分で縮刷版を引っ張り出して前後の記事を点検する労を惜しむ訳にはいかない*3のだが、調べる目安として本当に有難い。しかし、この「聞蔵Ⅱビジュアル」の「朝日新聞縮刷版」のうちの「明治・大正」「昭和(戦前)」には、大きな欠陥がある。と、こう書いて、この調べをしたのは2ヶ月前のことで、その後「聞蔵Ⅱビジュアル」を使っていないので、その間に既に改善されている可能性もあるのだが、関東大震災の記事を例にとって、次に述べてみたい。(以下続稿)

*1:大学・学校・公共図書館限定サービス。

*2:「明治・大正」「昭和(戦前)」「昭和(戦後)」があり、前2者はオプションなので、公共図書館では「昭和(戦後)」のみの提供である館も多い。

*3:見落としは免れないから、検索に頼り過ぎる訳には行かない。