瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田中英光『オリムポスの果實』(03)

 東京でもたまに地震があるが、少しの揺れではもうテロップも出ない。
 お尻に揺れを感じて、消してある照明の、垂れ下がったつまみが揺れているのを見る。
 今のところ停電はないようだ。如何に電気に頼って生活しているかが分かる。
 出勤しようとして駅で足止めを喰っている人がいる。今日が月曜で、週末を挟んでの突然の計画停電発表だったので、企業等も出社停止などの対応が取れなかったからだろう。普段から満員なのに本数を減らされたら出勤出来る訳がない。明日以降も継続するとすれば、何らかの対応を取るべきだろう。――金曜の晩、自転車で30km弱を、22時前後の2時間で漕いで帰って来て、普段のこの時間とは思えない程の徒歩の人、それも都心から放射状に広がる道路を駅の位置とは無関係に、ぞろぞろ歩いて帰って行くのに遇った。しかしあれは週末の帰りだから帰ったので、連日、行き帰りにあんなことは出来ない*1
 今日は家でじっとしている。照明も付けず、エアコンも待機電力節約のため、コンセントに電流を遮断するスイッチを付けてあるのだが、これも昨日来、切ったままである。しかし炬燵に入って、パソコンは起動している。やはり当日、職場で当初は何も見聞きせず、その後ラジオを聞いたが、映像に慣れすぎているせいか、よく分からなかった。テレビでは名取川河口附近を襲う津波の第一波が生中継されていたのが、見ていないとそんなことも分からず、大変な事態なのだろうと思いつつも、呑気にしていた。もちろん、当日では仙台以南と気仙沼といった、ピンポイントで映像や情報が伝えられた地域のことしか分からなかった訳だし、未だによく分からない地域があるのだから、知らなかった当時としては……とにかく情報源とは繋がっていたい。私が知ったところで、別にどうもしないにしても。そして、花粉症の薬が切れそうなので、今日、停電にならないのなら、今日中に病院に行って来ようか、――などと自分の日常を考える。

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 金曜、地震の日の晩、私の職場・通過した地域・自宅は停電していなかったので、ただ鉄道が止まっているだけで、コンビニも飲食店も営業していたし、他は何も変わらなかった。
 土曜は家を出ずに過ごし、昨日、日曜に図書館に返却に行った。2月20日に借りた『オリンポスの果実』である。図書館は平常通り開館していた。ただ、普段よりは来館者は少なかったようだ。今日は休館日だが明日以降はどうなるのだろうか。詰まらぬ心配のようだが、こんな事態になったから借りている本を返さなくてもいいということにはならない。レンタルCDショップからは延滞金取りません、郵送着払い返却可、というメールが来ていたそうだ。図書館も督促はしないだろうが、返せるのに返さないという訳には行かない。
 さて、閉館時刻ぎりぎりに返却だけに行って、けれどもやっぱり入口の脇にある再利用図書(リサイクル)の本棚は、覗いて見る。小林千登勢『お星さまのレール』(1982年8月初版発行・1985年6月第17刷発行・定価950円・金の星社・174頁)や伊地知鐵男編著『日本古文書学提要』上巻(昭和四一年八月一日一刷©・昭和四五年一二月一〇日三刷・三〇〇〇円・新生社・672頁)下巻(昭和四四年六月一五日一刷©・三〇〇〇円・新生社・673〜1333頁+別冊索引36頁)、重松静馬『重松日記』(二〇〇一年五月二十五日第一刷発行・定価2400円・筑摩書房・291頁)なども、この棚で入手している。
 そこで例によって順に舐めるように眺めて行くと、背の低い文庫本の並び、白い背表紙の薄っぺらい本に「オリンポスの果実」の文字が。2月20日付(02)に、近所の図書館に新潮文庫の『オリンポスの果実』が3冊、閉架にあることになっていたが、出納を依頼したところ2冊しか出てこなかったと書いた。もう1冊はその頃リサイクル用に仕分けされていて、まだ除籍されていなかったのでOPACでヒットした訳だが(今検索してみたら2冊になっていた)、その後こうして「再利用図書/不要になりましたら/ご自身で処分願います」というシール(横書き、ゴシック体)をバーコードの上に貼付されて、私の手許に渡ったのである。カバーは少々黄ばんでいるが、本体は新本並に新しい。誰も借りなかったのだろうか。このカバー、五十刷のものとも、五十一刷の松本孝志のものとも違っていた。(以下続稿)

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 病院は空いていたが、いつもは空いている行きつけの八百屋に20人もの行列が出来、人数が一向に減らない。ミネラルウォーターを買い溜めする人もいる*2。昨日、図書館の帰りに寄ったスーパーでは麺類・パンなどが払底していた*3。電力だけでなく、商品も多少品薄でも良いのではないか。東北に回して欲しい。
 被災地では多くの図書館が被災したはずである。少なからぬ郷土資料・古文書が、そして文化財が破壊・流出したはずである。日本でも関東大震災を教訓に、文化財の保護が考えられ始めた訳だけれども、イラクやエジプトの博物館のような混乱のどさくさに略奪される、などといったことは日本では起こり得ないにしても、こうした思わぬ自然災害が頻発する。火災・水害・土砂災害で失われたものも少なくない。本(記録)は現物ではないにしても、そのコピーである。それによって、多くの人の目に同じ内容が触れる機会を得られる。本に限らず、コピーする価値のあるものは、出来るだけ多くコピーして、永遠に失われることのないように願いたい。現物に勝るものはないにしても、全く手がかりがなくなってしまっては、初めから存在しなかったのと同じことになってしまうのだから。

*1:自転車の数が多くなかったから良かったが、歩道も車道も狭い通りも少なくないだけに、数が増えたら自転車は危険だ。

*2:水道は停電と無関係だろうと思っていたのだが、高層マンションでは電気で汲み上げているらしい。エコカーオール電化、みんな電気だ。

*3:私の通らなかった通路がどうなっていたかは知らぬが。