瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

服部龍太郎『日本民謡集』(1)

 民謡の本は、増補が繰り返されて原型を止めないことがよくあるが、服部龍太郎『日本民謡集(現代教養文庫262)』は、その好例である。
 この現代教養文庫版『日本民謡集』には、初版・定本・改訂版の3版がある。
〔初版〕日本民謡集』(昭和三十四年十二月二十日初版第一刷発行・昭和三十七年十月三十日初版第十二刷発行・定価一八〇円・社会思想社・259頁)
〔定本〕定本・日本民謡集』(昭和38年10月31日初版第1刷発行・昭和41年6月5日初版第7刷発行・二八〇円*1社会思想社・412頁)
〔改訂版〕*2日本民謡集』(昭和34年12月20日初版第1刷発行・昭和54年3月30日改訂版第15刷発行・¥600・社会思想社・553頁)
 細部の異同については、少しずつ詳細に及ぶことにして、ここではまず、これらの版に記された編纂の事情を確認して置こう。資料になるのは〔初版〕3〜4頁「昭和三十四年十一月」付「はしがき」、〔定本〕411〜412頁「昭和三十八年十月」付「あとがき」、〔改訂版〕553頁「昭和四十四年十一月」付「あとがき」である。
 ところで、〔定本〕がいつ出たのかは分かるが、〔改訂版〕の奥付には〔初版〕の第1刷の年月日が示され、改訂版がいつ出たのかが分からない。「あとがき」が昭和44年11月(1969)付であることによって、大体の見当は付けることが出来る。昭和54年3月第15刷というのは、改訂版になって以来の刷数であろう。
 さて、〔定本〕〔改訂版〕の「あとがき」は、元版を改版するに際しての注意書きであって、本書のそもそもの由来が説明されていない。それを知るには、まず〔初版〕の「はしがき」を確認しておく必要がある。
 この「はしがき」を服部氏は次の一段から始めている。

 ちかごろ「民謡ブーム」などというのを聞くことがあるが、こんな言葉はあまり感心しない。民謡はその性質からいって、ブームや人気に左右されるものではないし、時代がどんなに移りかわろうと、それにかかわりなく民謡はあるものだからである。


 すなわち「民謡は民族とともに永遠にあるもの」であり、「一時的な人気やブームがあるわけではない。」からで、「それは大地に腰をおろして、じっくりと、そしてすこやかに息をついているものとみたい」というのが服部氏の民謡観である。民謡は「ひとがうたうのを聴いても……、自分でうたっても」、「唄にあわせて踊」っても「たのしめる」が、「ほうぼうの土地にある民謡のことを知って、それに写真を添えて眺めてみたらどうだろう。そうすればもっとふかく味わえるのではあるまいか。この本はそんなことも役にたちたいと思ってまとめたものである。」との意図が示されているが、これには少々楽観的過ぎる印象を受ける(以上3頁)。尤も、〔定本〕の「あとがき」ではこの楽観視は撤回され、危機感が示されることになるのであるが。
 本書の特徴は写真が豊富に挿入されていることだが、その由来は4頁に説明されている。

 この本に挿入した大部分の写真はわたしがカメラマンといっしょに旅をしたときのものである。それもこの八年間、ときどき婦人画報へ民謡紀行としてのせるために取材したものが多いのであって、そんなことでもなければ容易にあつめることができなかったような優秀な作品ばかりである。わたしにとってはこれらの画面のひとつひとつが、唄声をもってよびかけてくるような思い出につながっているのである。


 私は楽譜が読めない(昔は読めたのだが)ので、譜面を見たところで「よびかけ」られたりしないのだが、しかし写真を見ることで地方の祭礼などが観光用にならず、かつ担い手にも困らなかった時期の息吹に触れることが出来る。
 奥付の「編著者略歴」に「新交響楽団編集主筆、ニツトーレコード洋楽部長を経て、戦後は日本民謡の新しい採譜に従う。」とあって、民謡関係の著書が多いようだ。もし機会があれば「婦人画報」や同時期の他の著書との関連も探ってみたいが、差し当たり現代教養文庫版の変遷について、見て行きたいと思う。(以下続稿)

*1:奥付の右下に「現代教養文庫の定価はすべて/カバーに明記してあります」とあるが、カバーが残されていないので、奥付の裏の目録「趣味と生活―楽しい生活の知恵―」記載のものによる。

*2:553頁「あとがき」には「増補版」とあるが、仮に奥付の「改訂版」に従っておく。