瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

平山蘆江『東京おぼえ帳』(4)

 昨日、自分を生徒指導の教師に喩えてみましたが、それが良いとは、思わない訳です。そういう役の教師は大概嫌われ者でしょう。そんなところに目くじらを立てずに、素直に大らかにメッセージを受け取れたら、と思うのです。しかしながら、チラシや看板を見ては直ちに誤字に目が行き、映画やTVドラマを見ては主役の後方で日常風景として演技するちょい役が気になり、そして、ちらっと映った手紙を読もうとしてしまい……。
 それはそうと、私自身は、制服をそのまま着ているだけで、精神的な不良を自負していましたから、注意されてムカつくくらいなら、服くらいそのまま着ていれば良いじゃないか、連中は「先生は見た目で判断する」とか文句を言っとるのですが、それが分かっていながらわざわざ「見た目」でアピールしている以上、そりゃ注意されたって仕方がないだろう、などと、嫌味な物の見方をしておりました。これで教師に阿っていたらただの嫌な奴ですが、教師にも「お前は一言多い」と言われる体たらくで、校則以外のところではいろいろとやらかしたものです。
 しかし今更他の人格になりようもないので、如何なる因果でこうなったのか(もちろん前世からの因果だなどとは考えませんが)、ともかく得手不得手なのだから仕方がないと諦めて、こんなことを続けようと思っている次第です。
 17時閉館の図書館が増えたのには難儀しています。いつもの時間に行くとポストに返却するだけになります。尤も、昔はどこもたいていそのぐらいに閉館していたように思います。最近、急に煌々として便利になったのでした。有難かったのは地震直後に貸出中の資料の返却期限を1週間延長してくれた市立図書館があったことで、17時閉館なのですが、余裕をもって返すことが出来ました。ただ、貸出期間は2週間のままなので、17時閉館のままだと利用するには時間のやりくりが難しくなりました。

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 なぜこんなことになったのだろうか。
 中扉を用意していても章の切れ目が、1枚の紙の奇数頁と偶数頁の間になっている「狹斜の月」と「街頭情趣」には差し込めない。いつ気付いたのか、もう刷ってしまって製本にかかるときだったのだろうか。このままでは一一一頁以降を、頁付も打ち直して、全て刷り直さないといけないが、そんな余裕もないし少なからぬ損失になる。そこで、とにかく、少々不格好でも中扉が挿入出来れば良い、というので、1枚の紙に刷ってしまった一一一頁と一一二頁、二八九頁と二九〇頁を破棄して、裏が白い一一一頁・二八九頁(これは本来なすべき処理だったのだが)と、表が白い一一二頁・二九〇頁とに刷り直したのであろう。当時の製本事情に暗いので、この場合、当該頁を差し替えるだけで済んだのか、それとも前後の頁も含めた廃棄・差し替えが必要になったのかは分からないが、とにかく、同じ紙の表裏になるはずの頁付を、その間に中扉を挟むために2枚の紙に表(奇数頁)のみ、裏(偶数頁)のみ刷る、ということにして、扉の前後2頁を白紙にして、扉の前の白紙は実は初めから必要なものだったのでともかく、扉の後が白紙になっているのは全部の章がこうなっていれば知ったかぶりが「洒落てるな……」と勘違いしかねなかった訳だが、「梨園の花」と「絃歌の雪」がきちんと扉をめくった奇数頁から始まっているので、やはり格好が悪い。ただ、それで紙を余計に使ったかというと、章末にあるべき余白が章の冒頭に来てしまっただけなので、初版も再版も紙数は変わりない。再版で広告をもう1頁挟む余裕が出来たくらいである。
 ついでにその、広告を見ておこう。初版では三七五頁の裏に1頁のみ、再版では三七八頁の向かいに初版と同じ広告が、さらにその裏に別の広告が入っている。
 共通する広告は、単辺の枠内、右上に「平 山 蘆 江 著」とあって、続いて大きく「つめびき」と「ひだり褄」が、それぞれ7.5×2.9cmの短冊型に黒く刷られた中に毛筆の白抜きで入り、この2つの書名の間に「蘆江調みなぎる花柳小説の粹/〽義理のせつなさ情のつらさ/つかつて減らない金ほしや」と都々逸が入っている。書名の下、それぞれ「價 二五〇圓」「價 二〇〇圓」とあり、下部に横書きで2行、1行目は「書店売切れの節は [住吉/書店]*1 直接住吉書店へ」とある。2行目は「東京都中野区住吉町四十二 振替東京48077」。
 再版で追加された広告は、単辺の枠内、上部に横書きで「平山蘆江著」とあり、その下、縦書きで書名が短冊型に単辺の枠で囲って3点*2、三味線藝談(1952.8.15)新いせ物語/男と女とイロ/\話(1952.9.5)白鷺物語(「白さぎ物語」1952.10.20)が並び、それぞれ「凡そ、邦楽を語る人見る人聞く人演ずる人々に捧ぐ/和綴美麗限定本、日本音楽全般に通ずる読物百科全書」「短篇二百篇所載、意気でお洒落でやはらかで!」「どどいつ界の王者が語る都々逸坊扇歌の人生」と、書名の右に説明文がある。書名の下にはそれぞれ「三〇〇円三〇」「二三〇円三〇」「十月初旬/發  賣」とある。下部には中央に双辺の枠に「住吉/書店」と縦書き2行で入り、この書店名を跨いで横書き2行、1行目「蘆江物   專門店」2行目「東京都中野区住吉町四十二   振替東京48077」とある。

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 文庫版は元版の面影をとどめようと努力していて、新たに追加された鴨下信一「解説」(357〜364頁)も解説を立ち読みして購入を考えるような人の心を浮き立たせる名文だが、1箇所だけおかしなところがある(357頁)。

 文中の「序にかへて」に昭和壬辰とあるとおり、原稿がまとめられたのは、敗戦後それほど経ってない昭和二十七年(一九五二)、出版は翌二十八年である。実はこの年が明治十五年生れ七十二才の著者の没年で、死後旬日にして刊行された。


 しかしながら、この解説の最後の頁(364頁)の向い(頁付なし)にある「編集附記」(4項のうち1項目。なお2項目は3月26日付(1)に引用)には

・本書は一九五二年、蘆江物専門の書肆・住吉書店より刊行された『東京おぼえ帳』を底本とした。

とあって、もちろんこっちが正しい。本書は著者平山蘆江(1882.11.15〜1953.4.18)の生前に刊行されている。売れたらしいので、ひょっとすると、蘆江の死をうけて追善のため「死後旬日にして刊行された」昭和28年4月版があるのかも知れないが。

*1:正方形の子持ち枠内に左上「住」左下「吉」右上「書」右下「店」という少々奇妙な順序で収まる。

*2:いずれも未見。発行日は神奈川県立近代文学館資料検索・日本近代文学館所蔵検索による。