瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

村松定孝『わたしは幽霊を見た』考証(13)

 もう少々詳しく、『言葉の影像』の「巴里のエリセーエフ翁」のうち、昭和39年(1964)の外遊についての記述(46〜52頁)と対照しながら、確認してみましょう。
 村松氏は、空港で「村上菊一郎さん」に出迎えられます(83頁)。「村上さんは、勤務先の早稲田大学からフランス文学の研究のために留学を命じられ、わたしがいく一年ほど前からここの一へやをかりてくらしていました。」と紹介されています(84頁)が、『言葉の影像』には「出発まぎわに、ボードレール研究家で早大教授の村上菊一郎氏がサンミッシェル通りのマシュランというホテルに一年間の予定で宿泊中であることが判明するという事情が生じた。私は、それまでに、村上氏と面識がなかったのであるが、早稲田時代にフランス語を教った新庄嘉章先生に出発寸前にお電話したところ、村上君へ手紙しときましょう、ということになった。そこで、村上氏のホテルを拠点に巴里見物をかね、所期の目的をも果そうという、慾ばったプランをたてたのだが、……」とあり、続いて「オルリ空港まで」出迎えに来てくれたことも書いてあります(49〜50頁)。
 さて、ここで注意されるのは、「ソルボンヌ大学の近くのサンミッシェル通りのマチュランというアパルトマン(下宿屋)」(83〜84頁)が、『言葉の影像』49頁には「ホテル」と書かれていることです。「マシュラン」と「マチュラン」の違いにも、意図を感じます。
 いえ、『言葉の影像』の出迎えの場面(50頁)に「オルリ空港まで、お出迎い下さった村上氏は、私の巴里での滞在期間がわずか四日と聞いて、……」とあるのです。それでは、そもそも「それから、三日して、わたしはとうとうがまんできずに、うまい理由をつくって、マチュランをひきはらい、……」(101頁)――そんなことをする時間的余裕は、初めからなかったわけです。
 ここまで来て、やはりこの物語も、虚構なのだろうと察しが付きます。

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 ところで、村上氏は「マチュラン」に到着早々村松氏に「留学生の幽霊」について、いきなり長々と語る設定(85〜92頁「留学生Kの幽霊」)になっています。かつて「勉強が思うように進まないので、それを気にやんで、毎晩、」「この家」の「トイレの中で」「すすりな」いていた「T大出身のなかなかの秀才で、K」という「ソルボンヌ大学に通っていた」(86〜87頁)「日本の留学生」(88頁)が、ついに自殺するのですが、以来「はじめて日本からきた人には、その晩、あいさつにまいります。……」(86頁)と言うのです。村上氏も「こちらのついた晩」に、「あなた*1によくにた、なかなかの美男子」の「K」の「ゆうれい」(90頁)に会った、と言うのです。
 ついで、この物語の鍵を握る人物である「村上さんの学校のこうはいで、言語学の研究にソルボンヌ大学に留学している」「伊藤さん」(96頁)という「あまりにも、わたしと、……顔つきがにかよっている」「青年」(94頁)が登場するのですが、この青年がその晩、マチュランのトイレで異常な行動をしていた、というのです。――これは事実だとすればかなり危険な描写です。仮名だとしても、「八年前」(83頁)、村上氏と同じ頃にソルボンヌ大学に留学していた早稲田出身者、ということになれば、関係者には容易にモデルが特定されてしまうでしょう。この点からも、やはり事実ではないと判断するのが穏当だと思うのです。
 ところで、村上氏は、すっかり怖じ気づいて「マチュランをひきはら」うことにした村松氏に「どうせひっこしをするなら、伊藤くんのアパルトマンがいいですよ。……」と助言するのですが、村松氏は「村上さんは、なんとなく、にやにやしながら」と描写して(101頁)、わざと脅かすようなことを言ったかのような扱いです。その上で「Kのゆうれい」の話についても、「村上さんが作り話をしたとき」(102頁)と、決め付けています。
 村上氏が実際にこんな話を村松氏にしたのか、しなかったのか、しなかったのだとして、何かモデルになるような材料はあったのか、なかったのか、その辺りの詮索はしていません*2

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 この話についてはもう少々述べるべきことがありますが、2月12日付(12)から随分間が空いての更新になりましたので、まだ調子が出ません。また少し間を置いてから、もう1度この話については述べたいと思っています。(以下続稿)

*1:村松氏。

*2:パリの下宿での怪談、ということでは岩村透「感応」(東雅夫編『百物語怪談会(ちくま文庫・文豪街談傑作選・特別篇)』114〜116頁、二〇〇七年七月十日第一刷発行・定価880円・筑摩書房・346頁)や実際にパリの下宿に幽霊が出たという、岩村透「学士会院の鐘」(同書313〜315頁)くらいしか、私には思い浮かびません。これらは時代が古く、日本人留学生コミュニティーでの怪談の共有だとか、日本人留学生の幽霊とか、そういう内容ではありません。もっと新しいところでそういう内容の話も、必ずやあるのだろうと思うのですが……。