瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(04)

 「付 シュリーマンの館」の、第1刷(第3刷)と第9刷(第32刷)の異同について、続き。〔第9刷〕208頁8〜11は〔第1刷〕207頁16〜208頁3に相当する。〔第1刷〕は「世界中の王侯貴族をこの館に招待して……」に始まるが、〔第9刷〕は「シュリーマン邸の建築を依頼されたツィラーは、……」に始まり、順序が入れ替わっている。なお、ここに紹介されるツィラーの言「指示といえば、『最上級のものだけを使え』とだけ。こんな建て方をした館は後にも先にもない」*1は、206頁1〜2の「細部にいたるまでシュリーマンと意見を交わしつつ設計・建築したものである」という書き方との兼ね合いが難しいように思う。良く考えれば分かることながら一瞬戸惑う。「建材についての指示」とでもしないとすんなり読み流せない。ここは〔第1刷〕の「この館の建築を依頼されたドイツの建築家は「常に最上級の物だけ使え」と指示されて、こんな建て方をした家はあとにも先にもないと驚いたそうである。」の方が、突っかからずに読める。
 208頁12〜209頁9の2段落は〔第1刷〕208頁4〜12の1段落に相当。冒頭「玄関をはいると、右手に」となっていたのが、「さて、玄関を入ると、正面左手のゆったりした広い階段に導かれて二階へ。/ 階段の右手には、」と改められている。他に「小部屋」→「小さい「控の間」」/「舞踊室」→「舞踏室」/「自然の中に戯れている」→(削除)/「アクロポリス神殿が浮かぶ発掘している景色」→「アクロポリスの丘やパルテノン神殿、また、トロイアミュケナイの風景」などの改訂がある。
 209頁10〜15の1段は〔第1刷〕208頁13〜16に相当。「各部屋のドアの上の壁面にそれぞれ掲げられたギリシア文字の数々で、いかにも」→「古代ギリシャの賢人たちの詞句が各部屋のドアの上の壁面に掲げられていることである。金色の帶*2状装飾のように浮き出ていて、まさに」。なお、行数が2行も違うのは加筆のためではなく、〔第9刷〕209頁3〜16の上部(キャプションとも14字分)に図版「「幾何学の知識のないものは、はいってはならない」」が掲載されているためで、同じ、ドアの上のギリシャ文字を撮影した図版は〔第1刷〕でも209頁上部(キャプションとも18字分)に入っている。
 209頁16〜211頁1がこれらの詞句の紹介で、〔第1刷〕では1つの段落(209頁1〜210頁8)だったのが、3段落に分割されている。「駐ギリシア大使館文化部の前島さんに翻訳していただいた。」が「駐ギリシャ大使館文化部の前島葉子様や丸紅支店長の足立昇様の御協力も得て翻訳していただいた。」と改められているが、これでは誰が翻訳したのか分からない(前島氏や足立氏に協力を依頼された、それぞれの知人か?)。他には「さぞ疲れたことだろうと、同情してしまう。」→「さぞ疲れたことだろう。」が目立つ。
 211頁2〜9の2段落は〔第1刷〕210頁9〜211頁2の2段落に相当、段落分けの位置が少し異なる。「庭へ降りるため」→(削除)/「この館の図書室に収められることになった前述の献呈した本には」→「館の図書館へと献呈した拙訳書は」/「日本大使館文化部の方に」→「丸紅支社のギリシャ人の方に」。
 211頁10〜15の最後の段落は〔第1刷〕211頁3〜8とほぼ同文、「新しいティリマシスの発掘、」→「ティリマシスの新たな発掘、」が目立つくらいである。なお、〔第1刷〕では9行目に訳者の名が入るが、〔第9刷〕では省略されている。
 212頁「附記」について。冒頭「私がこの館を訪れた一九九四年十月には、……」とあるが、これは「学術文庫版訳者あとがき」198頁6〜7「……この本を、一九九四年十一月、アテネにある彼の邸に届けることができた。」と時期が齟齬している。209頁掲載の写真、右下に「'95 1 24」と日付が印字されているので、訳者の撮影ではないようである。なお、「付 シュリーマンの館」の冒頭、205頁2に「シュリーマンの館に初版本を届けに行った話は、前記でもちょっと触れたが」とあるが、それは「学術文庫版訳者あとがき」の198頁5〜199頁6に要領良く述べられている。

*1:「と述懐している。」と続く。

*2:原本ママ、「帯」ではなく正字を使用している。