瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

港屋主人「劇塲怪談噺」(2)

 1話め。

  ▲帝劇血染礎
 文明開化の副産物として生れ/た大劇塲、丸の内の白煉瓦帝國/劇塲にもさうした噂が刻まれて/ゐやうとは誰しも思ひがけぬ事/であらう、巴里のセントラル、オ/ペラ座に摸して造られたと云ふ/最新式のあの劇塲が、怪談を包/んでゐると云ふ事は時代錯誤も/甚だしいと笑はゞ笑へ、此處に/は眞か僞か聞いたまゝを書いて/みる。
 帝劇の樂屋は三階が女優、二/階が幸四郎梅幸松助等の大/頭株、階下は舞臺ででんぐり返/つたり、御注進と顔だけ出して/引込んだりする連中の部屋にな/つてゐる。その階下の廊下から/奈落へ下りやうとするとつつき/の壁に、ある時大きな男の顔が/映つたさうだ。而も額から頰か/ら所きらはず血だらけの見るも/物凄い顔であつたと云ふ事だ。/唯さへ氣味の惡い奈落の下り口/の事だから、なる程出さうな所/だわい、などゝたきつける奴が/あつた爲め噂はたちまち擴がつ/てしまつた。
 それには何かの理由があらう/と物好きな惡戯者がその故實を/調べると丁度その邊の所で、ま/だ劇塲が建築中に一人の土方が/ 礎 にする大石に押しつぶされ/て死んだのださうだ。そしてそ/の土方が往生際に血染れになつ/た顔をふり起して『金を持つた/人々は、こんな立派な劇塲を立/てゝ好き勝手に樂まうとしてゐ/るが、こちとらの樣な貧亡人は/それどころか苦しい思ひをして/こきつかはれて暮すのだ俺は今/この劇塲の下敷になつて死んで/行くが、この恨みは死んでも祟/つてやるから覺え*1てゐろ』と口/惜げに齒を嚙え*2しばつて果てた/さうだ、その男の怨靈が姿を現/したのだらうとは、はてさて怖/いぞ/\。


 明治44年(1911)3月1日開場の帝国劇場は日本最初の西洋建築の劇場、このときまだ築8年のまさに「最新式」だった頃。7代目松本幸四郎(1870〜1949.1.28)、女方の6代目尾上梅幸(1870〜1934.11.8)は専属俳優だった。名脇役の4代目尾上松助(1843〜1928.5.5)は幹部俳優であった。題が芝居の外題みたいになっていたり、末尾が劇評の文言を模している辺り、掲載誌「歌舞伎新報」の色彩を帯びたものと言えよう。
 学校の怪談に、壁に異様な模様がある場所に「殺された(事故死した)作業員が埋められて」おり、叩いたりすると怪異が起こる、というものがある。私も高校時代に2例聞いた。建築物の中に塗り込める、という発想が従来の日本建築に伴う人柱伝説と違って、近代洋風建築ならではのものと思われるのだが、この帝国劇場の話、一読こうした話型の萌芽のように感じたのだが、……読み返してみると、あまり似ていない。
 以下、ルビと改段箇所を示す。

  ▲まるのうちちぞめいしづゑ
 ぶんめいかいくわ・ふくさんぶつ・うま/だいげきぢやう・まる・うち・しろれんがていこく/げきぢやう・うはさ・きざ/たれ・おも・こと/ぱりー/ざ・も・つく・い(以上廿一頁4段目)/さいしんしき・げきぢやう・くわいだん・つゝ/い・こと・じだいさくご・はなは・わら・わら・ここ/しん・ぎ・き・か/
 ていげき・がくや・かい・ぢよいう/かい・かう・らう・ばいかう・まつすけなど・おほ/あたまかぶ・かいか・ぶたい・ヽヽヽヽ*3かへ/ごちうしん・かほ・だ/ひきこ・れんちう・へや/かいか・ろうか/ならく・お/かべ・ときおほ・をとこ・かほ/うつ・しか・ひたひ・ほゝ/ところ・ち・み/ものすご・かほ・い・こと/たゞ・きみ・わる・ならく・お・くち/こと・ほどで・ところ/やつ/た・うはさ・ひろ/
 なに・りいう/ものす・いたづらもの・こじつ/しら・ちやうど・へん・ところ/げきぢやう・けんちくちう・り・どかた/いしづゑ・おほいし・お/し(以上廿一頁5段目)/どかた・わうぜうぎは・ちまみ/かほ・おこ・かね・も/ひと ぐ ・りつぱ・げきぢやう・た/す・かつて・たのし/やう・びんばうにん/くる・おも/くら・おれ・いま/げきぢやう・したじき・し/ゆ・うら・し・たゝ/おぼ・くち/をし・は・か・は/をとこ・おんりや・すがた・あらは/こわ/

*1:原文はヤ行の「江」。

*2:原文はヤ行の「江」。

*3:「でんぐり」に傍点。