瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

港屋主人「劇塲怪談噺」(4)

 3題め。2話から成る。今回は1話め(通しで3話め)を紹介する。
 舞台となっている新富座は、江戸時代以来の守田座天保の改革以来の所在地猿若町から明治5年(1872)に新富町(現在の東京都中央区新富)に移転、明治8年(1875)に改称。「先代守田勘弥」は12代目(1846〜1897.8.21)でその座元、当代は13代目(1885.10.18〜1932.6.16)。
 新富座は当時、松竹の傘下にあり、関東大震災で焼失、再建されなかった。

  ▲新富座不開古室
 今日の芝居、並びに俳優にと/つて神樣よりも有難い先代守田/勘彌が、その御本丸として建て/た新富座であるから、此の劇塲/は隨分古いものである。それだ/けに此處には怪談が二つも殘つ/てゐる、然し茲の話はどうして/幽さんが出るのだかその理由は/今知る由もないのが殘念である/が兎に角出ると云ふ話だけを書/いて置かう。
 その一つは三階の階段を上り/切つて左の廊下を曲つて行つた/一番奥の部屋である、いまだに/知つてゐる俳優は誰も入らない/さうだ、何時頃だつたか詳しく/覺え*1ないが今淺草に出てゐる團/右衛門が此の部屋へ知らずに入/れられた事があつた、自分の出/幕になつて來たので、顔を扮ら/うと鏡に向つた。すると鏡の面/がうすく曇つてゐる、拭いても/拭いても 曇る。これは 鏡がど/うかしたのだらうと思つて、そ/の儘顔を扮らうとすると自分の/顔が映らずに變な人の顔が映つ/た。はてなと振返つて見たが、/その部屋には自分の他に誰もゐ/ない。あまり不思議に思つて飛/び出してこの話をすると、あの/部屋には元から出ると云ふ噂の/部屋だと聞いてびつくり早速取/り換へて貰つたさうだ。


 「随分古い」とあるが、明治9年(1876)類焼後、西洋式の大劇場として明治11年(1878)に開場した建物だからまだ築40年余りである。学校の怪談にも似た話があるが、どうもこういう話はいくらも湧いて出るらしい。
 ここに登場するのは2代目市川団右衛門(1882〜1943.2.16)。この辺の劇場や役者の情報はネット上にはあまり出ていないことを実感。どんな本を見るべきかは見当は付くものの、余裕はないので差し当たり話の紹介に止める。余裕が出来たら「考証」篇を書いて一通りもう少し確認して置きたいとも、思う。
 以下、ルビと改段箇所を示す。

  ▲しんとみざあかづのふるへや
 こんにち・しばゐ・はいいう/かみさま・ありがた・せんだいもりた/かんや・ごほんまる・た/しんとみざ・こ・こや(以上廿二頁5段目)/ずゐぶんふる/ここ・くわいだん・のこ/しか・こゝ・はなし/ゆう・で・りいう/いまし・よし・ざんねん/と・かくで・い・はなし・か/お
 がい・かいだん・のぼ/き・ひだり・ろうか・まが・い/ばんおく・へや/し・ひと・たれ・はひ/いつごろ・くは/おぼ・いまあさくさ・で・だん/ゑもん・こ・へや・し・い/こと・じぶん・で/まく・き・かほ・つく/かゞみ・むか・かゞみ・おもて/くも・ふ/ふ・くも・かゞみ/おも/まゝかほ・つく・じぶん/かほ・うつ・へん・ひと・かほ・うつ/ふりかへ・み/へや・じぶん・ほか・たれ/ふしぎ・おも・と/だ・はなし/へや・もと・で・い・うはさ/へや・き・さつそくと/か・もら

*1:原文はヤ行の「江」。