瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

柳田國男『遠野物語』の文庫本(09)

 102頁16行目まで済んでいると思うので、その続きから。

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 続いて吉本氏は「体験譚」について、作者・記述者(柳田氏)が体験したことではなく、遠野に実在する人物が体験した話だと注意する。そこでまた、何だかよく分からないことを言い始める。
 「普通は体験者がいて、べつの記述者が体験譚を記述するというスタイルをとると、昔話の形になる」という。『今昔物語』のように「今は昔、こういうことがありました」「現在こういうことがあります」となるはずだ、というのだ。ところが『遠野物語』の「体験譚は、そういう記述の仕方をしていない。はじめは記述者と体験した人が別々のように書き始めるばあいもあるが、途中で記述者と体験者が一体になってしまう。まるで記述者自身が体験しているような文体に変わっていく」として「いわば行動的な文体」と位置づける。この「文体」が「内容的な特色とともに」『遠野物語』を「とても特異なものにしている」という。
 「こんな記述の仕方をしている古典物語は存在しない」とまで云っているのだが、これもやはり、いきなり『今昔物語集』を引き合いに出してくるからそうなるのだ。それに、柳田氏は『今昔物語集』も意識していただろうが、怪談の真偽が鑑定出来ると言うくらい大量に読んでいた*1、近世・近代の怪談本の方が身近なものだったはずである*2
 それに、体験譚を記述する場合、間接話法ではなく直接話法を採用しがちになるのは、なんらおかしなことではない。古いところでは寛文元年(1661)に刊行された鈴木正三の遺稿『因果物語(片仮名本)』が良い例だろう。影印本や翻刻もあるが、手軽なものとして抄録を挙げておく。

江戸怪談集〈中〉 (岩波文庫)

江戸怪談集〈中〉 (岩波文庫)

 これは専ら実話を集めたもので、人によっては物足りないかも知れないが、殆ど要旨に近い簡潔な文体が却って信憑性を高めている。過去(間接体験)の助動詞「けり」を多用する話もあって、これは確かに「昔話」の文体だが、存続の助動詞「たり・り」を使用したり*3、中でも話の中間部分に目に付く、述部にあまり助動詞を使わず自立語(動詞・形容詞)で畳みかけるように短く言い切っていく辺りは、体験譚の方法をよく呑み込んだ記述スタイル*4だと言えるのではあるまいか。
 体験譚を話す場合はなおさらだ。稲川淳二は明らかに体験者に成り代わって「おかしいなー不気味だなー」と言っている。私は体験譚が好きでないので、話す場合(自分の体験談は、ない)、人の体験である旨を強調しつつ話すが、それは初めと終わりに強調すれば良いので、中間部分は視点人物に成り代わって畳みかけている。
 その点、『今昔物語集』は本朝(日本)だけでなく天竺(印度)震旦(China)まで、先行する説話集なども活用して編纂しているのだから、全体のスタイルを統一するとして、直接話法など採用出来ないのが当然である。本朝の話にしても『遠野物語』のような「現在の事実」ばかりではない。天皇武家の説話もある。要するに吉本氏が意識している『今昔物語集』とはそのごく一部、『遠野物語』と似たような内容の、本朝部の世俗説話のようである。しかしそれはごく一部で、他は本当に「昔」の「話」なのだから体験譚のように書かないのが当然で、それをなんだか『今昔物語集』が『遠野物語』と同じような話を集めているのに、文体が「昔話」になっている、などというような論法をしているのは、やはりかなり恣意的な行き方に思えてしまうのである。まぁ世間的にも『今昔物語集』は本朝世俗部しか意識されていないのだろうけど。(以下続稿)

*1:東雅夫遠野物語と怪談の時代』はこの事実を指摘して、「怪談鑑定人・柳田国男」と名付けている。

*2:尤も、引き合いには出していない。「文体」からしてまるで違っているそれら俗書を引き合いに出したくなかったのだろう。序文に持ち出して批判している『御伽百物語』は俳諧師の著作で、美文ではないが名文である。

*3:単純には比較出来ないが『遠野物語』にも多用されている。

*4:記述する以前の談話がここまで簡潔だったとは思われないが。