瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

柳田國男『妖怪談義』(4)

 5月25日付(1)に指摘した、講談社学術文庫の問題点の確認。まず、

 62頁の(附記)に「家庭朝日という雑誌」について縷々述べている理由がよく分からない。

についてだが、これは「お化けの聲」という文の(附記)で、講談社学術文庫版では62頁、修道社版では六八頁にある。ここでは折角だから(?)修道社版から抜いて置こう。

(附記)
 家庭朝日といふ雜誌は、昔朝日新聞で新聞購讀者に無料で配布したもので、編集長は津村秀夫氏だつた。
 今は保存して居る人も少く、朝日新聞社にすらないといふことである。幸ひ奈良の水木直箭氏の手許にあ
 り、筆寫させてもらつたが、きけば水木氏も八戸の夏堀謹二郎氏より送られたものとか、「妖怪古意」と
 内容が重なつているが、いろ/\の思ひ出の爲、加へることにした。


 1行の字数が先に触れた1行43字よりも多いが、本文と同じ大きさのタイトル「(附記)」を除いて活字が一回り小さいためである。ちなみに「妖怪古意」はこの「お化けの聲」の前(四三〜六三頁)に収録されており、やはり(附記)があるが、こちらは長文の「補論」と呼ぶべきもので、本文と同じ大きさの活字で組まれている。しかしこの他に(附記)があるものとしては、「ザシキワラシ (一)」に「お化けの聲」と同じく初出に関する注記、「大人彌五郎」に断片的な伝聞を紹介して情報提供を呼びかけるもの、「ぢんだら沼記事」に参考論文の指示*1があるが、いずれも小さい活字で、この使い分けには配慮があるようである。
 これらは講談社学術文庫では全て本文と同じ大きさの活字となっている。そして「妖怪古意」は「附 録」として、別扱いにしてある。これは『定本 柳田國男集』第四卷(昭和三十八年四月二十五日發行・定價一一〇〇圓・筑摩書房・508頁)に再録されている「妖怪談義」(285〜438頁)と同じで、細かいようだが修道社版の「(附記)」が『定本』及び講談社学術文庫版では「(附 記)」となっているように、講談社学術文庫版は、当時としては当然の措置なのだが『定本』に拠っているのである。尤も、(附記)であれば他の(附記)と同じく修道社版に収録するに当たって加筆されたものと分かるが、「附録」ではそうした事情が少々推察しがたいようにも思うのだが。
 それはともかく、この(附記)は「おばけの聲」の初出が「家庭朝日」であることがどこかに示されていないと、何の意味もない。ところが、講談社学術文庫版には初出がどこにも示されていないのである。
 講談社学術文庫では修道社版にあった「索引」の代わり(?)に中島河太郎(1917.6.5〜1999.5.5)「解説」がある(217〜226頁)。中島氏は柳田氏に師事した民俗学者(国文学者)としての側面を持っており、本名の中嶋(中島)馨で執筆した伝承文学関係の論文もある。この中島氏の「解説」を見ても、218頁の、

 著者が本書を公刊されたのは昭和三十一年十二月であった。ここに収められた文章は、せいぜい新しくて昭和十三、四年に書かれたものである。一巻に纏めておこうと決意した頃は、特に妖怪に心を傾けておられたわけではなかった。

や219頁の、

 ここに収められた文章のうち、もっとも早いのは明治四十二年三月の「天狗の話」だが、それより先に「幽冥談」がある。三十八年九月の「新古文林」に載ったもので、民俗学上のエッセイではいちばん早いが、談話なので「定本柳田国男集」には省かれている。

などの段落、或いは「大正六年十一月の「幽霊思想の変遷」は、……」や「昭和三年八月の「主婦之友」が幽霊と怪談の座談会を催して、……」(224頁)また「本書には古く書かれた短い文章が多いが、……、あとで発展して実を結んだ例が多い。殊にこういう年代をばらばらにして書かれた文集では、……」(225頁)などの記述からして、中島氏もまさか初出の情報が省かれてしまうとは思わなかったようである。(以下続稿)

*1:「附  大太法師傳説四種」の次にある。なお、修道社版では「「一つ目小僧その他」(角川文庫)」とあるが、講談社学術文庫版は「「一つ目小僧その他」」となっている。但し角川文庫版『一目小僧その他』は講談社学術文庫刊行時まだ絶版ではなかったはずである。【5月29日追記】『定本 柳田國男集』で既に(角川文庫)は省かれている。