瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

柳田國男『遠野物語』(02)

 先月、菊池照雄『山深き遠野の里の物語せよ』(1989年6月20日第1刷発行・定価1680円・梟社・253頁)を通読した。いろいろ気になるところがあるのだが、「伝承の里、家と人と」の章(203〜250頁・49〜58節)の「55 毒キノコで一家全滅した孫左エ門」の節(233〜238頁)に、次のような記述がある(237頁)。

 毒キノコを食べて一家全滅した時、よその家に遊びに行っていて、難を逃れた女の子はミナといい、後年はオミナ婆とよばれていた。明治三十年に生まれ、一人残された時は六歳であったから、そうするとこの話は明治三十六年頃の事件ということになる。このオミナ婆は昭和三十年代に死んだ。つい最近まで生きていたのである。子どもはなかった。
 明治四十二年八月二十四日、柳田が喜善の家にきた時、孫左エ門の家は、屋根のクレに山百合の花を咲かせ、茅ぶきの屋根は黒ずんで家の内をかくすようにたれ下がり、空家のように静まりかえって、ミンミンと蝉しぐれが降りそそいでいた。


 しかしこの説明には正直奇異の念を抱かざるを得ない。すなわち、『遠野物語一八話には、次のようにある。

……、此家の主從二十幾人、茸*1の毒に中*2りて一日のうちに死に絶え、七歳の女の子一人を殘せしが、其女も亦年老いて子無く、近き頃病みて失せたり。


 この本で菊池氏は満年齢で記述している*3らしいから、確かに明治30年(1897)生とすると数えで「七歳」になる明治36年(1903)の事件ということになる。しかしこれでは「年老いて子無く、近き頃病みて失せたり」と全く合わない。しかし菊池氏はこれについて何ともしていない。柳田國男/後藤総一郎 監修/佐藤誠輔 口語訳/笹村栄一 挿画/小田富英 本文注『[口語訳]遠野物語』(1992年7月10日初版発行・定価1456円・河出書房新社226頁)の注もこの菊池氏の記述に拠ったらしく、

(2) 七歳の女の子 一人だけ助かった女の子は、オミナといって、昭和三十年代まで生きていたといいます。つまりこの話は、明治三十六年頃の話で、新しい話であることがわかります。

とあって(52頁)、女の子の生年に触れないので「明治三十六年頃」が唐突な上に、原文の記述と矛盾する説明を何ら問題にせず、そのままにしているのである。(以下続稿)

*1:振仮名キノコ。

*2:振仮名アタ。

*3:12月31日付にも書いたが、これは混乱の元になるだけなので、止めた方が良いと思う。後日指摘する予定だが、この本の中でも混乱が認められる。