瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(14)

 今度は末尾を比較してみたい。
 『近代異妖篇』については、近代デジタルライブラリーで初版本が閲覧出来るし、紀田順一郎東雅夫編『日本怪奇小説傑作集1(創元推理文庫)』(2005年7月15日初版・2005年11月11日4版・定価1,100円・東京創元社・489頁)が、『近代異妖篇』を底本に校訂した本文(307〜330頁)を載せていたので、改めて載せる必要もなかった。

日本怪奇小説傑作集1 (創元推理文庫)

日本怪奇小説傑作集1 (創元推理文庫)

 東氏の「解説」(475〜488頁)中に「本文表記」についての断り書(478〜479頁)がある。

……、本書では、漢字を新字体に、歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改めた以外は、原則として初刊時の文字表記を忠実に再現するという方針を採用いたしました。特に従来「現代の読者に親しみやすく」という美名のもと、大半の流布本で無造作に仮名表記に改変されてきた代名詞・副詞・接続詞や宛字の類なども、あえて原文の漢字表記のままとし、そのぶんルビを多用することで対処しております。作家自身の選び取った文字遣いを可能な限り尊重することで、発表当時により近い形で作品に接していただけると同時に、近現代における小説文体の時代的変遷をも如実に体感できるのではないかと思います。……


 趣旨には賛同するけれども、この漢字をひらいたり(逆に漢字を当てたり)といったことは、古典文学作品の本文処理でも問題になるところである。従来の古典文学の本文校訂は、仮名文学作品の殆ど仮名だけの本文であっても、とにかく漢字を当てれば良い、という風だった。漢字を当てればそれが語釈を兼ねるから注を付けずに済む。しかしこれには反論もあって、確かに「作者自身の選び取った文字遣い」ではない。今の人が読み通せるように処理している訳で、尤も活字本なんて昔はなかったのだから、結局のところ作者の通りに読もうとすれば自筆本だかを自分で読むしかない。明治大正の近代文学作品に漢字がやたらと使われていたのは、連綿体のない切れ切れの活字で、かつ総ルビだったからだろうと思う。その前の木版本の時代、江戸時代後期の草双紙だと、平仮名の細字で絵の隙間にびっしり書き込まれている。仮名書きにするより楽な文字しか漢字で書いていない。で、『山東京傳全集』などを見ると、この平仮名は活字化せず、漢字を当てた校訂本文しか活字で載せていない。たまに読み間違えてるから困る*1

山東京伝全集〈第3巻〉黄表紙(3)

山東京伝全集〈第3巻〉黄表紙(3)

 それはともかく、印刷方法と表記法が関連している訳で、戦後総ルビを止めて、漢字制限をして、その結果こうなったので、つまり戦後は、戦前の作品は漢字をひらき、そして戦後の作品は初めからそのつもりで、書かされている。それは仕方のないことのようにも思える。それに、本書でも字体と仮名遣いは匙を投げている。尤も、戦前だって選び取って本字と歴史的仮名遣いで書いていたのではないのだけど。それしかなかったのだから。それも仕方のないことだろう。――しかし本書には文語文の作品は収録されていないが、もしあったとしたら仮名遣いはどうしただろうか。それが無用のことながら、気になる。
 それはともかく、「木曾の旅人」の【A】と【B】を、冒頭部だけだが比較してみると、綺堂は表記についてそんなに窮屈に考えていなかったように思われる。総ルビの【B】で「つまり」「やはり」と平仮名の副詞が、ルビの殆どない【A】では「約り」「矢はり」と漢字になっていた。【B】のなぜ一箇所だけ「親父」が「おやぢ」になっているが、【A】は全て「親父」である。「いふ」と「云ふ」も区別があるような、ないような。
 いろいろと文句を付けたような按配になってしまったが、「作家自身」というところに、少し引っかかった。作家本人が後に書き換えてしまうこともある訳だし、初出のメディアによって表記が制約されてもいる訳だから、ここは「作家自身……」ではなくもっと緩く、その時代の全体的な空気・雰囲気――「発表当時……」の方を強調し、それを感得するべきだ、ということにした方が良さそうに思われるのだが。とにかく、妙なことを長々と書いたが、「発表当時」に可能な限り近付けようという方針には賛成である。
 ちなみに当ブログは読み物ではなくてメモなので、引用文献は読みやすさを考慮せずになるべく元の形を保存したいと思っているが、漢字の字体を忠実に再現するのは諦めているし、くの字点の処理には統一した方法を決められないでいる。

*1:草双紙は絵と文が混ぜて書いてあるので、一応全部の頁が、絵を示すために図版として掲載されているが、文字は読みづらい。読めるけど。もともとが小さいので、疲れる。