瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

駒村吉重『君は隅田川に消えたのか』(1)

 藤牧義夫(1911〜1935*1)という版画家が、生誕百年ということもあって脚光を浴びています。
 私は一昨年、たまたま別の人について検索しているうちに、espritlibreのブログ「玉乗りする猫の秘かな愉しみ」に辿り着き、さらにそこから同氏が藤牧氏についてまとめたブログ「藤牧義夫 発掘!」に進んで、大いに興味を惹かれたのでした。
 ただ、私の場合、作品をパソコンの画面(と今回取り上げる本)でしか見ておらず、偽作の謎だとか謎の失踪とか、そういう物語的な要素への興味が主なので、作品は、いいと思うけれども、まだ本物に接しての感激のようなものを味わっていないので、今のところコメント出来るような状態にありません。ただ、現在、群馬県立館林美術館で8月28日まで開催中の「開館10周年記念 生誕100年 藤牧義夫―館林に生まれた創作版画の異才」には、行こうと思っています。いえ、思っていました。というのは、さっき群馬県立館林美術館のHPを確認したところ、この展示は来年の1月21日から3月25日まで、神奈川県立近代美術館鎌倉に巡回するとのことで、そっちに行った方が(ついでに塩嘗地蔵に参る余裕はないだろうけど)経済的にも精神的にも時間的にも楽なので、それに、前期と後期で展示替えがあるというのですが、ちょっと館林では前期も後期も両方行くというのは無理。鎌倉なら、なんとか行けなくもないので、館林展にのみ出品されている目玉があるとかいうのであれば、それも出来れば、後期にだけ、展示されているとかいうのであれば、ともかく。と、今のところ、こんなことで迷うくらいの覚悟でしかないことを、初めに白状して置きます。
 妙な前置きで長くなりましたが、espritlibre氏のブログで一通りの知識を得ていたので、駒村吉重『君は隅田川に消えたのか――藤牧義夫と版画の虚実』(2011年5月12日第1刷発行・定価2300円・講談社・348頁)を、今月図書館で見付けて、読んでみたのです。

君は隅田川に消えたのか -藤牧義夫と版画の虚実

君は隅田川に消えたのか -藤牧義夫と版画の虚実

 昨日読み終えました。内容の大筋は、全くその通りだと思います。ただ、Amazonレビューにもあるのですが、読後感は、「玉乗りする猫の秘かな愉しみ」でも詳しく紹介されている、藤牧義夫発掘の先鞭をつけた画商、大谷芳久の大冊『藤牧義夫 眞僞』の一般向け解説書、のような印象です。といって、私はまだ大谷氏の『藤牧義夫 眞僞』は見ていないのですが、大谷氏の藤牧作品との関わりがこの本の最初から最後までを貫く縦軸のように設定されていて、作品の解釈も大谷氏の検討結果に全面的に拠っているようで、大谷氏と大きくずれている、駒村氏独自の部分があるのかないのか、が、ちょっと分かりにくい。どうも、大谷氏の解釈を駒村氏なりに理解しようという過程が描かれているように読めるのです。別にオリジナルな妄説は要らないのですが。もしそうだとすれば、大部で専門的な大谷氏の見解をかみ砕き、時代背景(藤牧氏生存当時と再評価された時期の)や(大谷氏を始めとする)周辺の人物も絡めて読み物としてまとめ上げた、というのが、この本の手柄のようです。いずれ機会を見付けて大谷氏の著書にも目を通そうと思ってはいますが、今はまだそれをしていないので、この程度の印象を述べるまでです。『小野忠重全版画』(小野忠重版画館 編集・2005年11月21日発行・求龍堂・279頁)は借りて来たのですが。
小野忠重全版画

小野忠重全版画

 そんな次第で、事の本題に切り込むようなことはとても書けません。例によって瑣事が気になったので、それを指摘して置こうと思ったのです。著者駒村氏のブログ「茶房ちよちよ」の2011年4月28日付「書店にならびますょ」によると初刷部数は4000部とのことで、藤牧氏が認知されて行けば或いは増刷になるかも知れませんし、ならないとしても疑問点を提示しておくことは、意味があるだろうと思ったのです。
 尤も、本題については、異論はありません。見事なまでに瑣末なことに引っかかってツッコミを入れてしまいました。そんな訳ですので、或いは版元もしくは著者に直接連絡するという方法もあろうかと思うのですが、以前のこともあるし公刊されている本についての指摘ですので、こういう形でも良かろうと思いました。タグは最初は「記述の確認」としましたが、一応「美術史」として置きました。
 勿体ぶった前置きだけで終えてしまうのも何ですので、手始めに一点だけ、疑問箇所を挙げて置きます。
 第13章「日輪になった父」の扉(295頁)に掲載されている作品に、「《明治神宮大学参拝の図》/『大日本』昭和10年3月21日号」というキャプションがあります。この作品については、本文297頁9〜11行めに次の記述があります。

 二月三日、満を持しての刊行にさきだち、大々的に明治神宮への奏上をおこなう。
 雪がふりしきるなか、傘をさして粛々と歩く国柱会員たちの行列を描いた藤牧のスケッチ/「明治神宮大学参拝の図」は、『大日本』三月二十一号に載った。


 この「刊行」は引用の直前に説明があるのですが、藤牧氏が積極的に参加していた国柱会の田中智学らの明治会(講座部)編『日本国体新講座』(昭和10〜11年・師子王文庫)の刊行です。「三月二十一号」は「三月二十一号」でしょう。どうも、後半にこの手の入力ミス・校正漏れが目立つようです。それはともかく、この「明治神宮大学参拝の図」ですが、295頁の図版中の文字を読んでみると、

昭和十年二月三日雪の日/日本国体新講座開始奏上/明治神宮大擧参拜の図(右下)
義夫/謹写(左下)


で、これは活字ではなく手書きの文字なので字体はほぼこの通りですが、「明治神宮大挙参拝の図」なのです。こうでないと意味も通じません*2。 
 これも以前指摘しましたが、現在、新字体しか教わっていない世代にとって、本字を習う機会は皆無ですから、往々にしてこのような誤りが発生します。当時の文献を読むうちに慣れてある程度は読めるようになりますが、きちんと固めていないのでどこかに漏れが生じてしまいます。尤も、これがどの段階で生じた誤りなのか、駒村氏以前の紹介者が既に誤っていたものなのかも知れませんが、残念ながら他の引用箇所についても少々疑念を抱かせられてしまう誤読として、引っかかってしまったのでした。(以下続稿)

*1:死亡が確認された訳ではないのだが、失踪の状況と関係者の証言から生存の可能性はないと見てこうして置く。

*2:言わずもがなですが「擧」を「學」と誤読したのです。