瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

駒村吉重『君は隅田川に消えたのか』(2)

 細々したことは後回しにして、一番の疑問点と思われる箇所について先に述べて置きます。
 第14章「雨の夜」、これは昭和10年(1935)9月2日の失踪当日について検証した部分です(315〜333頁)。
 その中で、319頁3行め以降の、当日の天候について述べたところがひっかかりました。

 翌、九月三日東京朝日新聞は、前日の雨もようを
「夕方の満潮時には、下降の深川周辺がすれすれまで増水したが、浸水までに至らず」
 とつたえているから、それなりの強い降りかただったはずだ。
 もし本当に藤牧が
「それまで身辺にあった版画の一やま」
 を神吉町の自宅から運んだのなら、死してなお残したかった命よりたいせつな作品群を、む/ざむざ雨にさらすようなものではないか。
 もっとも、藤牧自身がずぶ濡れだったはずだ。小野の語りには、その尋常ならざる「画友」/のようすが、ひと言もなかった。


 もちろん「下降の」は「河口の」でしょう。しかしそれ以上に気になったのは、当日の雨を「それなりの強い降りかただったはずだ」と判断している根拠です。
 昨今話題になっているゲリラ豪雨・都市型水害であれば、都市に降った雨で急に河川が「増水」するということもあるでしょう。しかし「満潮時に……浸水」が心配されたという記述から東京が大雨だったと判断するのは、不可能です。神田川や目黒川ならともかく、隅田川のような大きな河川の場合(当時既に荒川放水路は完成していましたが)、上流の大雨でも増水しますし、長雨でも増水するでしょう。ですから、東京が大雨だったというのであれば、河川の「増水」ではなく、まさに「前日の雨もよう」――東京での降雨状況そのものの記述が、欲しいところです。
 そこで、上記「下降」の入力ミス・校正漏れの確認も兼ねて、「東京朝日新聞」の縮刷版を見てきました。
 駒村氏の依拠した記事は、昭和10年9月3日(火曜日)第17737号の(十一)面に、6〜8段めの3段ぶち抜き*1で載る囲み記事「秋空遠からじ」だと思われます。というのも、駒村氏の引用は原文そのままではなく、一部分の要約なのです。そこで以下に、原文を引用してみます。囲みの中は2段組になっています。

二日の二百十日、風はどうやら免れたが「夜に/かけて豪雨襲來、低地浸水」の特報に帝都市民は/不安の思ひをしたが、幸ひに豪雨は濱松邊で喰/ひとめられ山脈につきあたつて弱められ、東京/地方には情緒纏綿たる秋雨だつた、氣づかはれ/た深川一帶の河岸も同夜七時廿分の滿潮にすれ/すれまでは増水したが、浸水までには至らず、/この長雨もやうやくみこしをあげて秋空に近づ《以上上段》/いてゐる、二日夜中央氣象台荒川技師に聞く*2 /
 風の方は例年の颱風季節の事ですからまだま/
 だ油斷は出來ませんが、この雨は大體この程/
 度で明日位から追々恢復に向つて行きませ/
 う。今夜(二日夜)は濱松邊は大分ひどく降/
 つてゐるやうですが東京には影響なく降つた/
 り止んだりの状態で別に警戒すべき程の事は/
 ありません、待望の秋空が見られるのももう/
 遠くはないでせう*3


 9月2日の東京の雨は、台風シーズンの二百十日ではありましたが、梅雨のようにしばらく降り続いてはたまに止み間もあり、という降り方で、中央気象台(現、気象庁)の荒川技師の談話にもあるように、大雨にはなっていません。増水の理由も、大雨というより長雨のせいだと判断すべきもののようです。
 この記事の右、(十一)面の右上部に、8段抜きで写真をメインにした記事「「雨さん止んでちやうだい」」が載っています。この本文も引用して置きましょう。8段抜きなので、1行が長い(最初の2行は見出しの下)です。

梅雨の樣な雨、待つてたら何時お使ひに行けるか分らないと困つてゐる母ちやん……坊やには平氣なんです、こないだパヽに買つて貰つた新しい防水マントを意張つて着て歩けるからです、それで母/ちやんに「行かうよ」と元氣をつけて銀座に來ました、だが母ちやんはお荷物が大きくなるといけないからと何にも買つてくれなかつたし、自慢の筈の防水マントも肝腎のおもちや屋の前でお目々が/見えなくなるし坊やも散々でした、雨は矢張りいやなもの、けふはお天氣になる樣に祈りませう【寫眞はきのふ何れも銀座にて】*4


 そして雨着姿の子供の写真が4つ(4人)掲載されていますが、うち傘が確認出来る3人は畳んでいます。昼間も、荒川技師の話のように「降つたり止んだり」であったことが分かります。8月分は見ていないのでいつからこんな空模様だったのか分かりませんが、(五)面「家庭」欄のトップ記事が「氣候不順に乘じ/ 疫神は猛威を揮ふ/赤痢や疫痢の急激な増加」であるところからしても、しばらく前からのようです。
 ちなみに、前日、つまり失踪当日(2日)の夕刊(昭和10年9月3日付*5)の(一)面9段め左側の「天氣予報/【二日午前九時發表】」には「今晩 北の風雨だが事による/と大雨になる/明日 北の風降つたり止ん/だり後曇り」とあります。その後、ラジオ等で「特報」が流れたのでしょう。しかし結局夜になっても大した雨にはならず「情緒纏綿たる秋雨」で済んでいたのです。
 不可解なのは、駒村氏がこの「秋空遠からじ」を使っているはずなのに「ずぶ濡れだったはずだ」と殊更に大雨であったことを強調するような書き方をしていることです。同じ記事に、まさに「前日の雨もよう」についての記述が存在するにもかかわらず、何故か駒村氏は「雨もよう」ならぬ「増水」の記述を引いて、「ずぶ濡れ」になるような大雨だったかのように、書いているのです。
 もちろん、大雨でなくても大きな荷物を背負って歩いたら、それなりに濡れるでしょうけど、これでは小野氏の捏造した物語を明確に否定して見せながら、大雨の中に消えたという別の“劇的な”イメージを、新たに投影して見せようとしているように見えてしまいます。藤牧氏失踪の実際は関係者がほぼ死に絶えた今、状況証拠を積み重ねて、周辺資料から詰めて行くよりありません。天候は当日の状況をイメージさせる数少ない明確な状況証拠で、新聞記事によりはっきりさせることが出来るのですから、折角駒村氏がそこに着目しながら記述が正確だと言い難いのは、やはり難点として問題にせざるを得ないと思うのです。

*1:当時の紙面は記事11段で最下部に2段分の広告。

*2:ルビ「まぬが・よる・ごう・しう・ていちしん・とくほう・ていと・おも・さいは・ごう・はま・へん・く・みやく・よわ・ち・ぜうちよてんめん・き・ふか・たい・し・や・まんてう・ぞう・しん・いた・なが・そら・ちか・よ・おうきせうだい・あら・ぎし・き」。また「みこし」には傍点「ヽヽヽ」が附されている。

*3:談話は1字下げ、ルビなし。

*4:ルビ「つゆ・ま・こま・ぼう・き・もら・ぼう・いば・き・ある/げんき・ぎんざ・に・じまん・はず・ぼう・かんじん/ぼう・さん ぐ ・やは・き・いの」。

*5:今と違って夕刊は翌日の日付でした。ですから3日付の夕刊は実際には前日2日の午後に発行されています。縮刷版は3日付夕刊、3日付朝刊と発行順に収録しています。