昨日、明治座の位置に触れました。明治座には4月17日付「港屋主人「劇塲怪談噺」(5)」で関東大震災で焼失したことに触れていましたが、ここはその後の明治座です。
震災までは、浜町川(浜町堀)に面した、日本橋区久松町38(現、中央区日本橋浜町二丁目10)にありました。現在位置(中央区日本橋浜町二丁目31及び32)の100m余り西です。その後、清洲橋通り沿いの日本橋区浜町二丁目21に移転したのです。
このような、少し位置が変わっているポイントは、ぱっと見て、今と同じ場所にあると誤認する危険性があるので、少し注意して置きます。
地図は、本格的に始めたらキリがないので、差し当たり、人文社の古地図ライブラリー別冊の、次の2冊を参照しました。
人文社編集部 企画・編集/梅田厚 ガイド文『古地図・現代図で歩く 明治大正東京散歩』(2003年10月1日第1版第1刷発行・定価2,600円・152+8頁)
古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩 (古地図ライブラリー)
- 作者: 梅田厚
- 出版社/メーカー: 人文社
- 発売日: 2003/10
- メディア: 大型本
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梅田厚 ガイド文/人文社編集部 企画・編集『古地図・現代図で歩く 昭和東京散歩[戦前]』(2004年1月第1版第1刷発行・定価2,600円・152+8頁)
古地図・現代図で歩く 昭和東京散歩 (古地図ライブラリー (別冊))
- 作者: 人文社編集部
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ともに東京市十五區をカバーし、左(偶数頁)に当時の地図(新たに描き起こしたもの)、右(奇数頁)に現在の地図を対照させ、細かく地番を記載しているので便利です。ただ、「散歩」のポイントを図中に記載しているために、地番が読めなくなっているところがあります。明治座の地番も『明治大正東京散歩』24頁では読めません。
そこは柏書房の『明治 大正 昭和 東京1万分1地形図集成』(1983年11月16日・定価48,000円・101頁)を参照しました。陸地測量部の1:10000地形図を復刻したもので、この辺りをカバーしている「日本橋」は、11頁に明治末(東京近傍七號・明治四十二年測圖・明治四十三年四月三十日發行・定價金七錢五厘・日本帝國陸地測量部)、31頁に大正震災前後(一万分一地形圖東京近傍七號(共十九面)・明治四十二年測圖大正十二年第二回修正測圖同十四年部分修正・大正十五年六月三十日發行・定價金貳拾五錢・大日本帝國陸地測量部)、63頁に昭和戦前(一万分一地形圖東京近傍十九號(共五十二面)・昭和五年測圖(空中寫眞測量)同十二年修正測圖(空中寫眞測量併用)・昭和十四年六月三十日發行・定價金十參錢・大日本帝國陸地測量部)の3図が収録されていて、うち「大正」図のみ、地番が記入されています。「大正」図によれば移転前の明治座の地番は「久松町38」と分かります。
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さて、「友人」宅の最寄り駅ですが、この人の「年譜」に拠れば誕生したのは「東京市本所区小梅瓦町(現在の東京都墨田区向島1丁目)」とあって地番は分かりませんが、同じ「年譜」の昭和7年(1932)条には「東京本所小梅1ノ7」とあって、これは同じ場所が震災後にこの表示になったもののようです。
戦前の本所区小梅一丁目は、震災前の本所区小梅瓦町の大部分に相当します*1。戦前の本所区小梅一丁目は現在の墨田区向島一丁目の東部(23番地の東半分と24〜32番地)と、押上二丁目の業平橋駅周辺です。小梅一丁目7番地は現在の向島一丁目30番地に当たります。東武伊勢崎線業平橋駅からは、100mくらいしか離れていません。北十間川を渡った十字路(現在の「業平一」交差点。本所區業平橋一丁目→墨田区業平一丁目)にあった市電の業平橋停留所までの距離も、200m程です。(以下続稿)
以下はメモ。『明治 大正 昭和 東京1万分1地形図集成』で、この辺りをカバーしている「向島」は、6頁に明治末(東京近傍二號・明治四十二年測圖・明治四十三年四月三十日發行・定價金七錢五厘・日本帝國陸地測量部)、26頁に大正震災前後(一万分一地形圖東京近傍二號(共十九面)・明治四十二年測圖大正十二年第二回修正測圖同十四年部分修正・大正十五年七月三日發行・定價金貳拾五錢・大日本帝國陸地測量部)、56頁に昭和戦前(一万分一地形圖東京近傍十二號(共五十二面)・昭和五年測圖(空中寫眞測量)同十二年修正測圖(空中寫眞測量併用)・発行日定価記載なし・内務省)の3図が収録されています。
*1:小梅一丁目3・5・23番地以北は小梅瓦町ではなく小梅町の一部。