瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

駒村吉重『君は隅田川に消えたのか』(14)

 前回8月22日付(13)に、本書が「社長の谷口春郷がどんな人物だったのかはよくわからないのだが」としていた(175頁17行め)銀座スタヂオの社長について、三重県「大石村ガレージ画廊」HPにあった略歴*1を貼り付けて置きました。これなどは調べたうちに入りませんし、谷口氏についてこれ以上追跡するつもりはないので、詳細はこの略歴を見て興味を抱いた方にお願いしたいのですが、その他にも少しは、それなりに調べての補足も、して置きたいと思いました。
吉田正三について(1)
 「第5章「描くが如くに彫る」」の、昭和7年(1932)4月の新版画集団発足について述べたところ、駒村氏は「東京美術学校日本画科の学生」武藤六郎(1907〜1995)の回想「新版画集団の想い出」(『武藤六郎版画集』所収)に依拠して、武藤氏が小野忠重(1909.1.19〜1990.10.17)に会って話したのがきっかけで版画の研究会を作ろうという事になり、武藤氏は学生、小野氏は社会人と分担して知友を勧誘することになったとして、藤牧氏の勧誘については、次のように述べています(87頁10行め〜88頁4行め)。

 社会人ではあったが、藤牧義夫はじめ柴秀夫、蓬田兵衛門、吉田正三の参加者四人は、設立/の発起人となる学生の武藤と小さな接点を持っていた。ともに前年九月に開かれた日本版画協/会第一回展の入選者なのである。
 おそらく武藤と相談した社会人担当の小野が、いくつかの展覧会記録をあたり、めぼしい入/選者にひととおり声をかけたのではないか。 
 しかし藤牧については、小野が書いた「藤牧義夫・年譜」(「藤牧義夫遺作版画展」図録『藤牧義夫』かんらん舎)
「小野宅の新版画集団創立打合せ会に吉田正三の紹介で出席す」
 とあるから、小野当人が直接よびかけていないことはたしかなようだ。
「千住の絵馬師で版画を試みる吉田正三」(「藤牧義夫・年譜」)がいったいどんな人物で、藤牧/が彼とのいかなるやりとりのすえにこの集まりに加わることになったのかは、メンバーのだれ/も語り残していなかった。いずれにせよ、発足の時点では、藤牧は大勢のなかのひとりにすぎ/なかった。


 これは「回想の藤牧義夫」から察せられる経緯(260頁)とは食い違うようですが、それはともかく。
 吉田正三については「新版画」のNo.1〜No.5(昭和7年)とNo.11(昭和8年)No.13(昭和9年)に合計12点の作品を発表していることが神奈川県立近代美術館HPコレクション検索「吉田正三」で分かります*2。しかし、個々の作品をクリックしたときに生没年が「藤牧義夫 ふじまき よしお (1911-1935)」の如く表示されるのが、吉田氏は「吉田正三 よしだ まさぞう」とのみで、神奈川県立近代美術館でも、この人物の素性については承知していないようです。
 ところが、和歌山県立近代美術館の「開館10周年記念 美術百科「版画」の巻」2005年3月1日−4月10日(後期)出品目録には、吉田氏の作品が昭和8年(1933)の「新版画集団第3回展」ポスターなど3点出品されていますが、生年のみ「吉田正三 1911-」とあります。
 しかしながら、私はこの千住の絵馬師を知っていました。――平成11年(1999)6月1日に、小野忠重『ガラス絵と泥絵 幕末・明治の庶民画考』(一九九〇年一二月二五日初版発行・定価1553円・河出書房新社・188頁)に収録されている「小絵馬考」(93〜122頁)を読みました。この『ガラス絵と泥絵』は刊行直前の10月17日に没した小野氏の遺著で、序跋も初出一覧などもなく、由来がよく分からない本なのですが、『小野忠重全版画』の巻末255〜277頁「小野忠重 文献」の「●自筆文献/単行図書」に、

『ガラス絵と泥絵 幕末・明治の庶民画考』河出書房新社、1990年12月25日
   〔『日本の民画 どろ絵とガラス絵』アソカ書房、1954年改訂再録〕

と見えています(256頁右)。元版の方はというと「小野忠重 文献」255頁右に「『日本の民画 絵とガラス絵』アソカ書房、1954年10月5日〔「日本の民画」の表記は箱、扉のみに記載〕」とあります。
 この元版は未見ですが、肝心の吉田氏の記述に関しては、恐らくこの「改訂」版の記述以上のものはないと思われますので、差し当たり「改訂」版で記述しておきます。後日、元版・「改訂」版を比較する機会を持ちたいと思います。(以下続稿)

*1:2020年5月3日追記】現在リンク切れになっている。いざと云うときのために、コピー&ペーストして置いた方が良さそうだ。

*2:但し「新版画」は神奈川県立近代美術館には揃っていないらしいので、所蔵されていない号にも掲載されていた可能性もあり、これで全部とは言えません。