瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「陸軍中野学校」(1)

 私はスパイ物の映画はこれまで殆ど観なかったので、新鮮な気持ちで市川雷蔵 主演/増村保造 監督「陸軍中野学校」を見た。昭和41年(1966)6月4日公開*1
 市川雷蔵(1931.8.29〜1969.7.17)も周囲に見ている人がいなかったので、未だに「大菩薩峠」「眠狂四郎」を見る機会がなく、ほぼ初見である。雷蔵はいい男だが、それ以上に草薙中佐(加東大介)が魅力的であった。

陸軍中野学校 [DVD]

陸軍中野学校 [DVD]

 粗筋を紹介するつもりはないが、核心部分について述べるので、未見の人は続きを読まないように。――主人公三好次郎*2少尉(市川雷蔵)の婚約者布引雪子(小川真由美)は津田英学塾を卒業した才媛で、丸の内の商事会社 The Bently Trading Co.Ltd に勤めている。ところが陸軍中野学校でスパイ教育を受けることになった次郎は消息を絶つ。雪子は繰り返し陸軍を訪ねるが行方不明と言われるばかりで埒が明かない。そこで雪子は応対をしていた参謀本部暗号班(第十八班)の前田大尉(待田京介)に、参謀本部への就職を依頼する。美しい雪子への下心もあり、前田は雪子をタイピストとして推薦する。来日20年で日本語に堪能な社長の英国人ラルフ・ベントリー(ピーター・ウィリアムス)は陸軍を批判しつつ雪子の退職を許し、上流階級の友人を通じて次郎の行方を調べてやると言う。ある日ベントリーは、陸軍次官に親しい人からの情報として、次郎は戦争を否定し陸軍を批判したため銃殺されたと雪子に告げ、婚約者の敵であり日本人を不幸にする存在でしかない陸軍の情報を漏らすよう唆す。そして、雪子は前田が口を滑らせた、参謀本部が英国の暗号 CODE BOOK を入手したという重要な情報をベントリーに伝えてしまう。丸善らしき書店の洋書棚の前で、言葉も交わさず目も合わせず、本に挟んで受け渡す。この8行の手書きの手紙(01:12:10)は英語に堪能な人なら解読出来るだろう。
 暗号コードブックの表紙の文字は「CODE BOOK / NO.165 / for the reserved correspondence / between / The British Consulate at Yokohama / and / The Department of Foreign Affairs / and / The British Embassy at Tokyo」とはっきり読める(01:09:06)。この表紙や中身は本物に近いのか、それともそれらしく作っただけなのかどうか。
 さて、この CODE BOOK を盗み出したのは次郎ら中野学校の1期生たちであり、情報漏洩問題について参謀本部を訪ねた次郎は、タイピストの中に雪子の姿を認め、疑った訳ではなく婚約者の現状を知りたくなって尾行する。雪子は日比谷公会堂らしき建物に演奏会に行く。入口の看板は「……十二囘/……日本交響樂團定期……/九月十七日……/主催 日本……」と読める(01:16:00)。そして1階席*3にベントリーと隣り合って座り*4ベートーヴェン交響曲第5番「運命」の演奏が始まるや、長方形の紙片が雪子に渡されるのを2階席から次郎は目撃する(01:16:30)。それは演奏会のチケットで、横書きで「會奏演期定團樂響交本日回二十第」と読める。次の行は「演開時6後午 日17月9」と読めそうだ。最後の行は「堂會公谷比日   團樂響交本日 催主」と読める(01:17:05)*5。これに隠しインキの文字で謝辞が記されていた。
 ちなみに昭和14年(1939)9月17日は日曜日だが、日曜出勤だったのか。またこの楽団のモデル及び当日の日比谷公会堂の演奏会などは未確認。
 こんなことを長々と書いた理由だが、特典の「予告篇」(2分40秒)と、この場面が違うのである。
 他のシーンは本編と同じ(に見えたの)だが、「予告篇」01:36〜01:54 の、雪子を尾行しベントリーとの接触を目撃するシーンが違う。暗い夜道で、左右から行き合って少し立ち止まってベントリーから半分に折ったチケットらしきものを渡される。これは本編に出てきたチケットとは違って四周に太い枠線が印刷されている。本編のチケットには枠はなかった*6。これを次郎は高いところから目撃するのであるが、これが日比谷公会堂内に差し替えられているのである。その是非については、述べないで置く。台本との比較もして見ればいろいろと違っているところが見つかるだろうがやはりやらない。
 しかし、それにしても雪子が哀れである。婚約者が行方不明になり、元の勤め先の社長に売国スパイにされ、そして現在の上司の前田には結婚を迫られ、そして再会の喜びも束の間、婚約者に毒殺される。2人でホテルに入って「今夜はここで結婚しよう」と言われるのだが、自殺を擬装するため結局そういうことも一切なしで、「固めの盃」とて毒入りワインを勧められる。ただ、猛烈な眠気とともに苦しまずに息を引き取ったのが、せめてもの救いであった。

*1:だから「きちがい」とか「シナ」とかいう語が使われている。

*2:「ミヨシジロー」を箱とメニューの「キャスト/スタッフ」はこう表記しているが、官吏をしている兄の名は「イチロー」である。「一郎」の弟なら「二郎」で、「次郎」の兄なら「太郎」なのではないかと思うのだが。シーナジロー(椎名次郎)は偽名。

*3:【2015年10月3日追記】何故か「1階客」と誤記していたのを「1階席」に訂正。

*4:ベントリーの前の席「ほ48」ははっきり読める。その右は「49」、ベントリーの席は「へ48」で、はっきり「へ」とは認められないが、それ以外の候補が考えられない。デジタルリマスターか Blu-ray なら読めるのだろうか。それはともかく、その左の通路際の雪子の席は番号は見えないが「へ47」のはずである。

*5:【10月6日追記】この半券には座席番号が入っていない。自由席の訳がないと思うのだが……。

*6:【10月6日追記】これは見間違いで、本編1:16:30に写ったこの半券を見るに、上下と右辺に太い枠線が印刷されており、1:17:05に写ったのを見るに、この太い線は実は何本かの細い線から成っていたのであったが、これは実はこの予告篇に出て来るものと一致しているようだ。なお、左辺に枠がないのは入場時に切り取られた方にあったのだろう。角に装飾がある(半券だから右上と右下に見える)のが一致する。予告篇では半分に折られているので左辺の有無は確認出来ない。