瑣事加減

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塩嘗地蔵(042)

吉川弘文館編集部 編『鎌倉古社寺辞典』二〇一一年(平成二十三)七月十日第一刷発行・11+212+65頁。四六判上製本

鎌倉古社寺辞典

鎌倉古社寺辞典

 この書影は函らしい。本体の表紙は紺色のソフトな合成樹脂。表紙見返し(見開き)に「五十音順古社寺索引」がある。続いてカラー口絵が8頁(頁付なし)あり、本文共紙の扉(前付1頁、頁付なし)はこの書影をモノクロ印刷したもの。
 前付3〜4頁に「二〇一一年五月」付の吉川弘文館編集部「はしがき」また前付5〜7頁「凡例」に、本書の編纂意図などが説明されている。これまでガイドブックをいくつも取り上げたが、それらは設定したコースに含まれない寺社に全く触れていないことが多い。載っていても、殆ど説明のない場合も少なくない。そこで「事前に調べる道具」として、また「現地での伴侶となるよりどころ」として、「社寺の起源や歴史、さらには国宝から市の文化財までを詳細に解説したもので」、収録範囲は「現存しないもの」や「鎌倉と関係の深い、隣接する逗子・藤沢・横須賀・横浜市の社寺」で、「項目は、小社刊行の『国史大辞典』や『日本仏教史辞典』『神道史大辞典』から選定したほか」に「必要と思われる社寺を新たに立項し」、「編集部のもとで大幅に増補・執筆したものを併せて掲載しました」とある。前付8〜11頁「目次」。
 本文はまず1〜8頁「鎌倉古社寺分布地図」として国土地理院の1:25000地形図により社寺の位置を示し、以下、6つのエリアごとに50音順に社寺を解説する。エリアは9〜66頁「鎌倉駅・金沢街道周辺」67〜114頁「北鎌倉駅・扇ガ谷周辺」115〜147頁「材木座から長谷周辺」149〜179頁「大船・市北西部」181〜199頁「腰越・市南西部」201〜212頁「鎌倉市外」である。
 光触寺は「鎌倉駅・金沢街道周辺」の22頁下段〜24頁上段9行めに見える。塩嘗地蔵関係の記述は以下の通り。

……「光触寺境内図」には、門口に光触寺、/(22頁下段)本堂に……建物がみえ、そのほか……などの注記がみえる。絵図の寺地と滑川を挟んだ対岸に地蔵堂の注記がみえるが、これは現在の境内になる地蔵堂のことで、塩嘗地蔵と/(23頁上段)俗称される石地蔵が安置される。以前は金沢街道沿いにあった。……


 最後に「[参考文献] 『鎌倉の古絵図』一(『鎌倉国宝館図録』一五)」とある。写真は23頁左側に「光触寺本堂(上)と塩嘗地蔵(下)」が掲載される。
 本文までは縦書きだが、後付は横書きで65頁。うち1〜8頁は「索引」、9〜65頁の「付録」は「1 鎌倉遺跡地図/2 鎌倉年中行事一覧/3 鎌倉史跡一覧/4 鎌倉国宝・重要文化財一覧/5 鎌倉略年表/6 鎌倉幕府将軍・執権一覧/7 鎌倉廃寺/8 鎌倉五山・十刹一覧/9 鎌倉三十三所一覧/10 鎌倉十井・十橋一覧/11 鎌倉関係用語解説/12 鎌倉関係人物略伝」から成り、35〜51頁「付録11」は『国史大辞典』からの転載らしく、本文と同じ体裁で歴史上の事件や地理が解説されている。52〜65頁「付録12」は奈良時代から江戸時代まで120人。ざっと見ただけだが、26頁「付録6 鎌倉幕府将軍・執権一覧」の「鎌倉幕府執権」のうち、12代目について。

 代数  氏 名  在   職   生   没 
|12 |北条熙時 |1312. 6. 2―1315. 8.12 |1279.   ―1315. 7.18|

とあるのだが、他の執権は在職期間末と死んだ日が同じ(2義時、3泰時、8時宗、10師時、15守時)か、死の数日前か十数年前に職を退いているが、この人のみ死んだ日より後まで在職したことになっている。どちらかの日付が間違っているとしか、思えないのだがWikipediaには「1315年(正和4)7月12日、出家。道常を号す。7月18日、卒去。享年37。」とあって、在職期間の誤りである。