瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(4)

 前回、「新聞記事を見るに「菊池」姓の人物は見えない」と注意して置いたのだが、東洋大学社会学部社会文化システム学科教授「松本誠一のホームページ」の「八丈島書誌目録稿(作成中)」を見るに、「菊池 俊(きくち・たかし 1947年・八丈島中之郷生)」とある。中之郷というのは、この事故の起こった村なのである。従って、親類縁者で巻き込まれた人がいたかも知れないし、そうでなくても子供心に深い印象を刻んだことは、十分に考えられる。
 ならば菊池氏の「七人ぼうずのたたり」が当時の状況を忠実に書き残そうとしているのかというとそうではなく、やはり、かなりの潤色がなされているものと思われるのである。
 事故があったのは林道で、『怪奇探偵の実録事件ファイル』33頁に掲載される昭和廿七年十一月廿三日付「南海タイムス」を見るに「本道から林道に入つて約千五百米の場所」である。菊池氏はこれを「村ざかいのとうげの道路工事」としている。だからこそ、事故に至る前段階が次のように描写されることになる訳だ。ここは10月14日付(2)に紹介した「M氏の話」では簡略に済まされているが、原文(『ほんとうにあったおばけの話⑩』96頁)では次のようになっている。

「七人ぼうずのたたりがあるのは、ちょうど、このあたりかい?」
 作業をしながら、だれかがいった。
「そうだ。このとうげで、七人ぼうずの悪口をいうと、たたりがあるってえ話だ」
 だれかがこたえて、またべつの人がいった。
「去年、牛をひいてここをとおった人が、『七人ぼうずのくそぼうず』と、ふざけた/そうだ。したら、とたんに牛のあしの骨が折れて、ひっくりかえったというが、こ/れはたたりかね?」
「たたりかもしれねえ。おれのきいた話は、車でとおった人が、ためしに悪口を/いってみたそうだ。そのとたん、タイヤがパンクして、ガードレールにつっこんだ/そうだよ。」
 みんな口ぐちに、たたりの話をはじめた。おれも、この話は、村でなんどもきい/ていたが、まあ、はんぶんは信じていなかったな。


 確かに、隣村との境界の峠であれば、通る人も多かっただろう。しかしながら、小池氏が現地を訪ねて確認しているように(『怪奇探偵の実録事件ファイル2』50〜56頁)、事故現場は「本道」から外れた、どこにも通じていない「行き止まり」の林道なのである。それに、事故の起こった昭和27年(1952)では、本道であっても「ガードレール」はなかったはずで、林道には現在でもカードレールなどまず設置されないから、ここらへんは潤色と見なさざるを得ない。核となる伝承(噂)はあったにせよ、ここに紹介されるようなものとは思われないのである。
 しかしながらそれは、もう60年近い昔のことだし、今更追跡のしようがない。島に行ったとしても、埒が明かないだろう。そこで次に、小池氏が「M氏が話してくれたのとは別に、もう一つの異なるテキストがある」(23頁)として紹介している方を、見て置くこととしたい。実は、菊池氏はこちらの本にも関与しているのである。(以下続稿)