瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

小寺融吉「八丈島の話」

 小寺融吉「八丈島の話」の七人坊主関係箇所を抜いて置いたが、ついでに残りを引用して置く。
 「民族」第壹卷1131〜1133頁、第六號(大正十五年九月一日發行)一四九〜一五一頁。2段組。
 奥付に「民族(隔月一回一日發行)/大正十五年八月二十九日印刷納本/大正十五年九月 一 日發  行」とあり、6号6冊で1巻である。編輯者は岡村千秋、発行者は岡茂雄。この号の最後、一三一(1113)〜一八八(1170)頁が「資料・報告・交詢」という欄になっている。小寺氏の文のうち、一四九(1131)頁下段は昨日引用した。一五〇(1132)頁上段1行めから引用する。

 八丈島では縊死は名譽ある死に方とされて居る。
 大島では鼬が人を化し、八丈では猫が化す、鼬は人の/聲色を使ふものださうである。
 八丈にも山の神が居る。死人を燒いた小屋へ入る時に/は、その廻りを三度廻らなくてはならぬ。若しぢかに入/ると山の神が出てしまはないで居ると云ふ。山の神の正/體は知れないが、矢張人に憑くのである。
 或男が山に行つた、頭に籠細工樣に木の枝を編んだ物/を載せて歸つて來た。取憑かれたのである。やがて何で/もかんでも食ひちらした揚句、海に入つて死んだ。
 これは山の神と云ふものか山男と云ふものかは知らぬ/が、矢張或男が二人の巨大な怪人に會つた。一人は眼が/實に物凄く、一人は富士山より大きかつた。會つた男は/病みついて其後小笠原島へ行つて死んでしまつた。
 八丈に正一位優姿夷大明神といふのがある。此明神の/祭は十一月で、其時に翌年の吉凶を占ふのである。


 続いて七人坊主の話になる。「優姿夷」は「優婆夷」が正しい。
 七人坊主の話の次、1行空けて、最後に源為朝の話がある*1。一五一(1133)頁上段まで。

 
 爲朝の話は書く必要はないが、現在行はれてゐる風俗/に就て書いておく。爲朝の乘つた舟が三宅島から八丈島【一五〇頁下段】に行く途中、三羽の鳥が舟の上で舞つた、そこで爲朝は/八双張りの弓矢を番つたが、狙ひがつかぬ、其時子供の/虎若が其弓矢を借り受けて、美事三羽を一矢に貫いて舟/中に落した。すると爲朝は虎若を水中に蹴落した、虎若/水中に端座して、何故我を殺し給ふかと問ふ。爲朝答へ/て、我は八双張の弓を引ける腕を持ちながら、かくも落/人の難儀に遭ふ、今汝を殺してやるのは父の情だと。そ/こで虎若納得して水中に沒し去つた。
 三宅島と八丈島との間、其場所は今でも泡が立つてゐ/ると云ふ。通る漁夫は必ずお捻りを投げ込む。虎若は矢/張大明神として八丈では祀られてゐる。

*1:【10月25日追記】この話は浅沼良次編『八丈島の民話』には「黒瀬の荒れるわけ」として出ている。10月25日付「浅沼良次編『八丈島の民話』(2)」に簡単に比較して置いた。