瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

美内すずえ『ガラスの仮面』(14)

 実はその後、単行本で第21巻まで読んで、メモも取っているのだが、やはり文庫版と対照しないと突っ込み所が今一つ、つかめない。先日、文庫版第5巻と第6巻を借りて、やっと対照することが出来た。文庫版第3巻と第4巻、第7巻以降は後日の課題とする。

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 まず文庫版第5巻の構成について、確認して置きたい。巻頭5頁単行本第7巻139頁56頁単行本第7巻の最後、190頁でこの頁は単行本第8巻の巻頭6頁にも重複して収録されている。237頁単行本第8巻の巻末187頁238頁単行本第9巻の巻頭6頁、下の余白に単行本では人形のカットがあったが、バラのカットに差し替えられている。確かにこの人形、目が落ちくぼんでいるみたいで、怖い。巻末312頁単行本第9巻80頁

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 以下、細々したところについて列挙して置く。
・単行本第7巻166頁2コマめ「このとうりだ」文庫版第5巻32頁「このとおりだ」。
・単行本第8巻33頁2コマめ「自由奔方な」文庫版第5巻83頁「自由奔放な」。
・単行本第8巻105頁1コマめ、速水真澄の台詞「きちがいざただ まったく」文庫版第5巻155頁では「正気じゃない まったく」となっている。
・単行本第8巻108頁7コマめの速水真澄の台詞のうち「小使いくらいは稼げるだろうが」文庫版第5巻158頁「小遣いくらいは稼げるだろうが」。
・単行本第8巻109頁2コマめの速水真澄の台詞のうち「きみの手で」の漢字に「とし」とルビ。文庫版第5巻159頁はもちろん「年」に訂正してある。
サナトリウムに向かう列車の中で、隣の客が居眠りしているうちに床に落とした雑誌「週刊芸能」を拾ったマヤの母・春がマヤが写真入りで載っていることに気付き、隣の客を起こして一頻り娘について語る台詞の中に、単行本第8巻146頁4コマめ「あの子はねえ 小さい頃からテレビや映画のお芝居がそりゃもう気ちがいみたいに好きでしてねえ/女優になるんだとか夢みたいなこといってたんですけどねえ」とあるのだが、文庫版第5巻196頁では「気ちがい」が「ばか」に改められている。なんだか、こういう置き換えを確認していると、そのうち「ばか」とも言えなくなってしまうような気がしてきた。杞憂だろうが。
月影先生の指示で、団員のリーダー格の青木麗はマヤを連れて埼玉県の禅寺山相寺を訪ねるのだが、住職は単行本第8巻153頁1コマ〜155頁1コマめ(文庫版第5巻203205頁)、何故か竹刀を持っていて、マヤたちを「無念無想」と言って(156頁1コマめ)打ち据える。しかし警策だろう普通は。それから155頁4コマめ「ぼんのう」が平仮名なのも気になる。これなどは漢字にしてルビを附すべきなのだが文庫版でも平仮名のままである。編集作業時の余裕のなさに起因するものだろうか。
・単行本第8巻185頁2コマめ「浮きだっていた」とあって、文庫版第5巻235頁も同じだが、「浮きだつ」は「浮きた(立)つ」で良いのではないか。或いは方言か。
・単行本第9巻43頁1コマめと2コマめの「千万分の一」が、文庫版第5巻275頁では「千万分の1」となっている。4コマめの「骨折りな無駄」は「骨折り損」もしくは「無駄な骨折り」だろう。