瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(12)

手作り立体地図八丈島

手作り立体地図八丈島

 今は販売されていないけれども。手前に突き出しているのが小岩戸ヶ鼻で、この話の舞台である。

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 さて、高閔愼(高橋與一)『園翁交語』だが、著者については柏崎順子「高橋華陽」一橋大学語学研究室「言語文化」VOL.46・2009-12-25)がある。華陽は号。和気行蔵(号は柳斎。1777〜1853)撰の墓碑銘によると文政五年(1822)没、年七十一、逆算して宝暦二年(1752)生*1。柏崎氏は八丈島関係の著作には触れていないが、彼の活動を知るには好適な論稿である。
 享和二年(1802)六月序、大間知氏の「古文献解題」に「卷頭に掲げた漢文の序によると、著者は幼少にして八丈島を出で、壮年にして島に歸り、閑暇のままに友園翁と島の古今を談じ、故郷の舊事を忘るること無からんがために小著を作り、園翁交語と名づけたといふ。」とある。
 もし唐僧八人の祟りの話が『園翁交語』にあるなら、七人坊主の原型は江戸時代中期には存在していたことになる。だから見ようと思ったのだが、『園翁交語』は活字化されていなくて、写本1巻が東京都公文書館にあるのだが、今月の1日から移転のため休館中で、閲覧業務の再開は平成24年(2012)5月頃だそうだ。西尾市岩瀬文庫にもあるが愛知県西尾市は遠い。大間知氏の「古文献解題」には「八丈島支廳藏」とある。今もそのまま八丈支庁に所蔵されているのかどうか、そうだとして、やはり遠い。

*1:大間知氏は「寶暦三年(一七五三)出生」としている。