瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(16)

 「八丈島中之郷のはなし」の方は、昭和47年(1972)から翌48年にかけての「三回の調査」で矢口氏が得た、昔話135話、伝説47話、世間話126話、合計308話の中から、20題24話を紹介したもの。冒頭(29〜32頁、初出70〜72頁上段)に簡単な分析があるが、まず「世間話の顕著な勢力」に注意して(以上30頁)、その「伝承の場」について推察し、ついで以下のように述べる。

……。とくに、話として注目されるものに「七人坊主の/タタリ」(20)という話がある。この話は、伝説として話される「七人坊主の話」(19)「七軒在/家」(18)との関連でみていく必要があろう。つまり、この話は伝説としての存在と、その七人/坊主に対する民衆のもつ意識の中で創造されたものとしてみることができる。昭和二七年東山を/横断し、潮間に通じる林道工事のさいの事故に、七人坊主に対する民衆の意識が合流し、一つの/話を成立せしめたのであろう。*1


 そして次の段落、「このように話は生き物である、私たちは、話をもっと柔軟な姿勢をもって見直していく必要があろう。」とまとめている(31頁)。
 さて、「七人坊主の話」は3話紹介されている。前回紹介した「昔話伝承を考える」には「六タイプ一二話」とあったが、ここではそのうち3タイプ3話が紹介されている訳だ。しかしながら、全体の一覧のようなものが示されていないので、このような記述のない「七人坊主のタタリ」がどのくらい語られていたのかが分からない。調査の全体像の報告も、これ以外の報告も、未だなされていないようだ。
 以下、関連する部分を引用したいのだが、末尾に

〈補注 話はすべて録音したものを、そのまま翻字し、末尾に、地区名・話者名・生年の順/で記した。Mは明治、Tは大正を表す。〉*2

とあって、無意味な繰り返しや説明不足もそのままになっている。私たちの日常会話だって、そのまま文字に起こして、前後の脈絡を知らぬ第三者に示したら、それこそ十分な理解は望めないだろう。この場合、老人が、昔話のような「語り」の定型がある訳でもない話を、思い出しながら語っているので、解しづらいところが少なくない。そこは補足説明が欲しいところなのだが、方言も含めて一切注は附されていない。
 そこで、これまで積み重ねてきた俄勉強の成果を動員して、私なりの補注を加えながら、見て行くこととしたい。(以下続稿)

*1:初出71頁。異同は「昭和二十七年」、また話の番号は括弧も含めてゴシック体になっていた。

*2:初出では「地区名」が「部落名」に、また余裕がなく最後の「を表す」が省かれている。