瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

福田洋著・石川保昌編『図説|現代殺人事件史』(1)

 怪談の背景に興味を持っているから、ということもあってか、事件や事故などの記録にも良く目を通す。それから、どうも瑣末な間違いに目が行くタチで、事件や事故がどういう間違いから発生したのか、というところにも、怪談とは関係なしに惹かれるものがある。
 ところで、久しく事件が凶悪化しているとかいう言説が横行しているが、それは昔のことを忘れているだけなんだろうと思う。私のような詰まらない人間でも、昔の自分の都合の悪い事実は忘れている。今の都合の悪い事実も忘れるようにしている。それにまぁ私の如きがその類の発言をしても社会的影響などはない訳だけれども、ワイドショーなんかを見るとどんなことにもそれらしきコメントを付けられる人々が、眉を顰めてそういうことをしみじみと言う。が、大体が、社会的な発言をするコメンテーターみたいな連中は、世間的に成功した人間だから、過去の記憶なんてものは現在の成功への前段階でしかないので、いよいよ昔の悪いことなど覚えているはずがないのである。成功した人に過去のことを聞いて、暗い記憶が語られるはずがない。語られたとしても、ごく個人的なものだろう。ゆとり教育の推進者の管理教育への反発発言みたいな。だから、己の理解を超えた悪人のことなど、キレイに忘れているに決まってる。私だって覚えていない。成功してないけど。でも、覚えていないのと存在しないのとは違うのだが、覚えていないこと・自分が知らなかっただけのことを初めからなかったことにして話してしまう人が少なくない。いや、普通の人間は自分の知識で勝手な判断をするものなんだけど。それにコメンテーターのコメントなんて、視聴者をモヤモヤさせない、その場ですんなり分かったような気にさせてくれるのが望ましい訳で。
 だんだん自分でも何を言ってるのか分からなくなってきたが、――以前から私は、成功した人間の自慢話を多数の人間が聞くのは馬鹿馬鹿しい、と思っている。多数の人間にそんな成功が許されるほど景気の良い社会ではない。むしろ多数派が聞くべきは、如何に間違わずに暮らすかであろう。
 事件や事故への対応などは、その聞くべき部分に属すると思うのだが、原発みたいに絶対安全としてまともに対応していなかったり、不必要に煽られて徒に体感治安を悪化させるのに加担させられたりしている。しかし、いくら気を付けていても、飛び出してきた自動車も地震もいきなり来るから避けようがない。逆恨みするような、性格的に問題があり、かつ執念深い犯罪者に狙われた日には正直逃げようがない。幸い、そんな体験はしたことがないが、別に身構えて生活している訳でもないから、普段通り気を抜いて歩いているところに狙いを付けられたら終わりである。初めから狙われないようにすればいいのだが、こっちにその気がなくても向こうが妙に拡大解釈した挙句に狙って来たりするのは正直抑えようがない。実行される前に余程の挑発でもない限り、向こうを動けないようにすることは出来ないし、こっちも余程身の危険を感じない限り、閉じ籠もったり保護を求めたりすることも出来ない。
 という訳で、こういうことは、相手が本気(というか狂気)だったら防げるものではないし、滅多にないことだから気にしても仕方がないと思っている。ま、美女に生まれなくて良かった。夜中に自転車で銭湯に行く途中、線路と学校の間の人通りのない道で高校生くらいの連中に追い掛けられたことがあったが、ママチャリで逃げ切れる脚力もある。数年前だけど。
 事件ではないが、佐藤春夫の長男が京王線新宿駅で、押されて入ってきた電車とホームの間に挟まれて死亡した事故のあったとき、周囲で「絶対1番前で並ばない」と言っている者が何人かいたし、ネット上でも「自分はそういうことはしない。そんなことをする人の気が知れない(キリッ」という意見を目にしたが、じゃあみんな引っ込んで待っていればいいのかと言えば、そんな訳にも行かない。誰かが1番前に立つのだ。――この話題が出たとき、誇らしげに「押されても平気なように朝のホームでは踏ん張って立っている」と自身の配慮について述べる者がいたが、「疲れるから止めろ」と突っ込まざるを得ない。気を付けた方が良いには違いないが、そんな滅多にないことのために無用な緊張を自分に強いることの方が宜しくないだろう。そんな人は乗車位置に立たなければ良いだけの話で、立って待ってる人を軽侮したり自己を誇ったりするような言は不要である。もし、意図的に電車に突き落とそうと狙う人物が現れたら、ホームのどこにいようが同じことだ。そうでなければ、余程強く体当たりでもされない限り、落っこちることはない。いづれ、杞憂の類としか思えない。
 そんな訳で、妙に不安を煽ったり警戒を呼び掛けたりして、変な緊張をしていなかったために突発的な事故・事件に巻き込まれてしまった一般市民を不注意呼ばわりする言説には、ついて行けない。もちろん機械の点検・手入れをマメにするとか、ヘルメットや安全靴を着用するとか、危険な現場では気を抜かないとか、そういった努力で防げる災難もあるので、出来ることをして、それで普通に暮らせばいいのだ。
 それはともかく、初版刊行から12年で2度も改版が出ているのを図書館で見かけたので、何となく手に取って見た。(以下続稿)