瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『八丈島誌』(1)

 10月27日付で、東京都八丈島八丈町教育委員会 編著『八丈島誌』(昭和四十八年三月二十日発行・非売品・642頁)に触れたが、改訂増補版を見た。
 発行者は東京都八丈島八丈町役場、発行所は八丈町教育委員会八丈島誌編纂委員会。
 表紙は牛革みたいに加工した厚紙の上製本、初版は黒、改訂増補版は青。
 初版は背表紙と、表紙に金文字で書名が入っていた(表紙の文字がやや大きい)。
 改訂増補版は背表紙のみで、背表紙下部に横書きで「八丈町役場」とある。
 東京都八丈島八丈町教育委員会 編著『八丈島誌』(昭和四十八年三月二十日初版発行・昭和五十八年二月一日三版発行・平成五年一月十八日改訂増補版発行・定価三、〇〇〇円・八丈町教育委員会八丈島誌編纂委員会・848頁)
 扉に続いてモノクロ口絵が6頁ある。その次から頁付がある。
 初版では1頁が八丈町長峯元清次「八丈島誌発刊に当たって」、2〜3頁が八丈町教育長小宮山才次「八丈島誌発刊を喜ぶ」、4〜5頁が編纂委員長小川武八丈島誌編纂について」で以上の3つはいずれも「昭和四十七年十月三十一日」付。6〜11頁「目次」である。1頁白紙で13頁から第一篇「自然」が始まる。
 改訂増補版では、1頁が「平成四年十一月二十日」付の八丈町長奥山日出男「八丈島誌改訂版の発刊について」、2頁が峯元氏の文、3〜4頁が小宮山氏の文で、小川氏の文はない。目次は5〜11頁、12頁から第一篇「自然」が始まる。
 改訂のポイントは、改訂増補版の奥山氏の一文に簡潔に述べられている。すなわち、奥付に昭和58年(1983)の3版について記載してあるのは、これが「新たに「八丈島の水道史」と、昭和四十八年以降の八丈島年表を追加し」ての「再刊」だったためである。そして「平成二年三月」に「八丈島誌改訂委員会を組織し」て「全般にわたって」の「見直し」と「新たな事項の書き加え」をして成ったのがこの「改訂増補版」で、「浅沼良次委員長をはじめ山田平右ヱ門・長井辰雄・雨森鐵三郎/金田弘則各委員」への謝辞が述べられている。
 してみると、10月20日付「七人坊主(7)」で、小池壮彦が山田氏を訪ねながらなぜ浅沼氏に会おうとしなかったのか、疑問を表明して置いたのだが、浅沼氏と山田氏はつい数年前にも同じ仕事をしていたので、いよいよなぜ歴史民俗資料館でも図書館でも山田氏からも、浅沼氏の名前が出なかったのかが不思議に思われるのだが、なんだか知らないがエアポケットになるなんてこともある訳で、別に意図があったのではなくて、たまたまそうなってしまっただけなのかも知れない。
 しかし、この「七人坊主」に関しては、小池氏が浅沼氏に会っていればもっと話は簡単だったので、浅沼氏がまだ健在だった当時、小池氏がそれをしなかったことが、悔やまれるのである。
 それはともかく、以下の増補改訂ぶりについては、昭和58年3版も見て後に、果たすこととしたい。取り急ぎ右の指摘だけ、忘れないうちにして置きたかった。(以下続稿)