瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(17)

 矢口氏が紹介している七人坊主関係の話を見て行こうと思うのだが、どのような形で言及すべきか少々迷った。11月9日付(16)でも述べたが、説明不足の語りをそのまま文字に起こして特に補足説明もない。要約するにしても正確に出来る自信がないので、関係の部分を原文のまま引用することにした。

 19・七人坊主の話
 ①土佐の五郎が、その七人の坊さんをつれて来た船頭なの。そのコイドが浜まで漂流したのが、/
またなんだかここへ着いたの。水が欲しくて、坊さんが降りて刀の小柄で突くと、どこからでも/
水が出て、それは飲んでいるうちに土佐の五郎は逃げだしたの船で。どういうわけでしょうね。/
逃げだすと、海で土佐の五郎が沈んだ。でっじゃ坊さんが沈めた。黒アオギで一あおぎでって、/
坊さんの力だった。                           (菊池■枝)


 菊池氏は「1・モトオヤの話」に(上浦・菊池■枝・M25生)とある。明治25年(1892)生。
 船が沖へ離れる辺りは、10月22日付(09)で紹介した小寺氏「八丈島の話」の「所が知らぬ間に舟はひとりでに沖へ沖へと流れて行く。驚いて黒骨の扇で招き返さうとしたが遅かつた。」に近い。他の文献には乗って来た船がどうなったかが、そもそも説明されていない。そして、その船に船頭がいたというのは他には見えないようだ。確かに、難船した坊主たちが「元より八丈に用は無い上に、渇も医したので更に目的地へ行くべく舟へと急いだ」ところで、再度漂流状態に戻ることになるだけなのだから、船頭がいたというのが理屈に合っている。だが、黒(骨の)扇で船を沈めたのと招き戻せなかったのとでは、法力に随分差があるようだ。(以下続稿)