瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(23)

 浅沼良次『流人の島』では、初版「タタル七人の坊主」改訂版「たたる七人の坊主」で、題の片仮名・平仮名以外は同文である。

 中之郷の東の位置に、南端に小岩戸岬をもっている東山が横たわっている。
 むかし罪名はわからないが、島流しされた七人の坊主が中之郷あずかりとなった。ところが/誰も相手にしないで、食べ物もあたえず追い出してしまった。七人の坊主は東山の頂上近くに/行って住み、民家に近附くことは出来ず、食物は野草とか、海岸に下ってアワビなどをとって/食べて、ほそぼそと命をつないでいたが、とうとう七人とも餓死してしまった。


 これが7人が餓死に至るまでの経過だが、漂着説を採っておらず、坊主は流人である。山に追いやられて餓死するのは多数説に同じ。何故追い出されたのか分からないが、無理に説明しようとすると色々と変な説明になってしまうので、妙な合理化、辻褄合せはしない方が良いのである。――長々とやっている「塩嘗地蔵」も、無理矢理説明しようとするから「地蔵が塩を舐めた」などという変な話になってしまったのであった、戦後に。
 しかし、とにかく何が古いかとか、実はこうだったとか、少ない材料から想像を加えて急いで合理化するのではなくて、まずは材料を揃えて、考える土台を補強して行くしかない。
 ところで、「勝手な推測だけれども。」と断って、10月18日付(05)及び10月19日付(06)に七人坊主の話に出て来る「東山」は東山(三原山。700.9m)ではなく、中之郷の東にある、事故現場潮間林道(東山林道)のある山(295.1m)だろうと述べた。地理的条件から他の候補が考えられないからであったが、何のことはない、ここにはっきり書いてある。しかし、何故か『八丈島の民話』では「東山」としか書かず、地理について地図を見て考えない人に早合点させるようにしてしまっているのである。(以下続稿)