瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(24)

 続きの2つの段落。

 それから毎日のように、中之郷の民家の附近を夜になると、白衣のコロモを着た亡霊が歩き/廻り住民は悩まされた。それとともに農作物の不作とか、家畜が死ぬとか不吉な事ばかりが続/いたので、ミコを頼んで拝ませてみたら七人の坊主のたたりだという事がわかった。そこで村【以上107頁】民は東山の頂上、神木(今も七本の椎の古木がうっそうと不気味なほど繁っている)*1の下に七つの石/地蔵を建てて坊主の霊をなぐさめた。
 しかしこれだけのことをしても、この坊主達はうらみが晴れないのか、この東山の頂上附近/で、七人の坊主の*2悪口を言うと、怪我や災難が起きた。


 この辺りは10月18日付(05)に引用した『八丈島の民話』と一致しているが、「東山の頂上」について、より具体的な記述をしていた点が注意される。
 ところで、伊豆七島では三宅島と大島には行ったことがある。三宅島は昭和58年(1983)の噴火前、大島は昭和61年(1986)の噴火前で、どちらも私が行った後に噴火したの(もちろん偶然なん)だが、とにかく「その前」を見て置けたのは良かった。――三宅島では自転車で反時計回りに島を一周し、新澪池も見ている。サタドー岬の断崖、赤場暁の昭和15年(1940)昭和37年(1962)噴火の跡、それから、どこだったかで海水浴をして海月に刺されたこと。神着から雄山にも登り、陥没前の頂上を歩き、村営牧場で牛乳を飲んだ。もう30年近く前で記憶も断片的だ。――大島では濃霧の中、御神火茶屋が大音量で音楽(新民謡の類?)を流していたのを記憶している。うるさいと思ったものだが、眺望が利かなったので迷わぬよう敢えて大音量にしていたのだろうか。日帰りだったし天候にも恵まれず、25年前だがそれ以外の記憶がない。
 さて、八丈島には行ったことがなく、「東山の頂上」に塚があるのか地蔵があるのか興味はあるものの、たぶんこれからも行かないので、確かめません。Googleマップでこの辺りの航空写真を見るに、稜線に山道(舗装されていない細い道)があるように見える。しかし「七本の椎の古木」までは分からない。行けばはっきりするのですが、まぁ行かない方が良いでしょう。(以下続稿)

*1:改訂版による。初版ではこの括弧内のみ「っ」が「つ」となっていた。

*2:初版にはここに「話や」とあったが改訂版にはない。