瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(25)

 続き。『八丈島の民話』では10月18日付(05)で見たように、続いて昭和27年(1952)の事故について述べているが、『流人の島』にはその前に、他に見えない話が挟まっている。

 終戦後、外地*1から引揚げた者が、この東山の頂上に五、六家族住みついたが、これらの人達/は一カ月もたたないうちにさっさと里に逃げ帰って来た。聞くところによると、夜になってか/ら「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と低い悲しいお経の声が聞こえたり、水汲みに行くとボロ/ボロの衣を着た坊さんが、その泉のほとりに立っていたりしたからだそうである。


 この入植者の話は他には見えないが、似たような“体験談”は現代でも行われており、10月21日付(08)に紹介した、to7002のブログ「ほんとにあった(と思う)こわい話」の2008-11-19「「八丈島の忌み話」*2及び、「まいぷれ/船橋習志野の地域情報」連載コラム、山口敏太郎「千葉妖怪伝説」の「その六 最凶妖怪・七人ミサキは現実に実在する!!後編」に見えている。
 前者には最後の方に2つ、某巨大掲示板と釣り好きの同僚の体験談が紹介されており、後者は10月13日付(01)で言及した、フジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」平成14年(2002)1月31日放送「八丈島人骨火葬事件・七人坊主の祟り」の内容に触れている。私はこの番組は見ていないが、山口氏によると、

平成に入った今でも、「七人坊主」の目撃談がある。
フジテレビの人気番組「アンビリバボー」の調査によると例の土砂崩れがあった現場付近では、緑色の衣を身につけた坊主が度々目撃されている。なんと緑色の衣とは当時絶命した「7人坊主」の法衣だと伝えられている。

とのことなのだが、「緑色の衣」は他の文献には見えず、「なんと」と言われても、ちと困る。(以下続稿)

*1:改訂版による。初版は「内地」。

*2:2023年1月8日追記2019年12月11日付「上方落語「三年酒」の原話(15)」には触れていたのだが、TOのブログ「実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話」は、Yahoo!ブログ サービス終了により ameblo に移行している。当時は移行中で上手くリンクを貼れなかったので、遅ればせながら貼り直して置くこととする。念のため、以前のHN・ブログ名・記事の題及びリンクも保存して置こう。「TOのブログ「実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話」の2008/11/19「八丈島の忌み話」」。