瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『八丈島誌』(3)

 昨日の「七人坊主(31)」の記事で、千葉徳爾「末吉地区の民俗」に 『八丈島誌』水道篇なる書名が挙がっていることを指摘した。
 『八丈島誌』については11月15日付(1)に略述したが、そのとき昭和58年(1983)2月刊の三版で新たに「八丈島の水道史」を増補しているとのことに注意して置いたが、その三版は未見。昭和48年(1973)3月刊の初版には(目次を見る限り)水道に関するまとまった記述はないようである。そして平成5年(1993)1月刊の改訂増補版には745〜805頁「第六篇 水道史」がある。
 従って、この昭和58年に増補されたという「第六篇 水道史」が、千葉氏の云う『八丈島誌』水道篇に相当するのだ、と思う。内容的にも、次回確認するように、問題ない。
 しかし、ここで腑に落ちないのは、千葉氏の報告の載る『八丈島末吉地区文化財調査報告』が昭和56年(1981)3月に刊行されていることだ。2年後に初めて増補された内容を参照出来る訳がない。
 そこで、昭和56年以前に『八丈島の水道史』もしくは『八丈島誌』水道篇が単行され、それが『八丈島誌』三版に際して組み込まれたのか、と想像して検索してみたが、ヒットしない。
 しかしながら、増補改訂版の「第六篇 水道史」に目を通して見るに、745頁(頁付なし)扉、747〜749頁「第一章 水道史の概要」、750〜761頁「第二章 三根地区」、762〜768頁「第三章 大賀郷地区」、769〜777頁「第四章 樫立地区」、778〜784頁「第五章 中之郷地区」785〜797頁「第六章 末吉地区」、798〜805頁「第七章 簡易水道の時代 (町村合併後)」の7章から成るが、このうち第四・第六・第七章を除く4章の末尾に「一九六八年四月」とある。そうすると昭和43年(1968)4月、『八丈島誌』の計画が実行に移される以前の調査結果、ということになる。5つの地区の報告はそれぞれ末尾に調査に協力した地元住民の名が列挙され、また( )内に調査担当者の名が挙がる。いずれも小学校や中学校の教諭・校長である。但し樫立と末吉には担当者の名前がない。第一章・第七章も無記名である。それはともかく、この「水道史」が恐らく、千葉氏の記述の通り、当初『八丈島誌』水道篇の書名で単行されていたのだと思う。全くネットではヒットしないのだけれども。
 そこで、念のため、もちろん『八丈島誌』改訂増補版に収録されているものが千葉氏が見たものと内容的に一致するはずだとは思うのだが、やはり原本を確認して置きたいと思っているのだが、国会図書館には初版しか所蔵しておらず、都立中央図書館も12月5日午後9時から12月21日午前9時(予定)で「システム更新に伴う蔵書検索サービスの一時休止」をしており、6日から20日までは休館で確認が出来ない。従って、いずれ見る機会があればそのとき確認することにして、明日は差し当たり、千葉氏の見ていない版だけれども仮に『八丈島誌』改訂増補版に拠って、末吉村の水源に関する地名について、見て置くこととしたい。
 なお、今私の手許にある『八丈島誌』改訂増補版にはカバーがあって、折返しも含めて紺色、背表紙に本体と同じ文字が白で入っている。