瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

平井呈一『真夜中の檻』(13)

 地理の確認は前回で一応切り上げて、他に気付いたことについて書いて置く。

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 最後の「編集後記」に、編者戸崎信夫が主人公風間直樹の失踪当時を回想して、「当時編者は、あいにく戦後未曾有の政変の政変で、約半月あまりテント村にかん詰めになり、ほとんど連夜徹夜、寸暇もない忙しい体だったものだから、麻生家に関する調査は、やむをえずN――市の支局にいる知人S――氏に依頼した。」という(128頁)。これは昭和25年(1950)の、春頃のことと思われるのだが、この「戦後未曾有の政変」というのがどうもよく分からない。
 それで戸崎氏は「法木作村」には出掛けていないのだが、S――氏がO――市役所*1戸籍係に照会したところ、

麻生喜一郎は昭和××年八月九日死亡、珠江という女の婚姻入籍の記載はありませんでした。

とのことであった(128頁)。喜一郎の死は1月20日付(03)で確認した通り、昭和23年(1948)である。ここまで「昭和二十×年」という書き方をしていた(18頁・51頁)のがここで初めて「昭和××年」となっているので少々戸惑う。死因は書かれていないが、珠江夫人の説明では結核で死んだらしく読める。しかし喜一郎の叔母婿儀三郎によると、「四代つづいて本家では変死人が出ておるでのう、……、四人の当主が代々妙な死に方をしとる。」とのこと(77頁)で、どうも、異常な死に方であったらしい。ただ、儀三郎老人は続けて「四代前の主人」と「三代前の喜一郎」と「先代喜一郎の父親」の3人がみな自殺していることを述べるが、「先代の喜一郎氏」の死の詳細は述べていない(78頁)。
 S――氏は続けて内山治作について、O――警察署で聞いたとして「昭和××年九月十六日」に山中で転落死体となって発見されたが、死体に不審な傷があったと報告している(128〜129頁)。これは主人公が麻生家を脱出した数日後、昭和24年(1949)である。
 脱出した辺りのことは、117頁に簡単に書いてある。夜道を歩いて「O――駅に着いたのが五時ちょっと過ぎ」で「一時間ばかり駅で待ち、六時〇二分の上り一番列車に乗って」東京に戻っている。それは「九月の十日過ぎであった。」(以下続稿)

*1:小千谷の市制施行は昭和29年(1954)で、昭和25年(1950)当時はまだ北魚沼郡小千谷町だったから、ここにO――市役所というはおかしい。