瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

新潮文庫『小泉八雲集』(3)

 続いて「注」がある。381〜389頁・393〜401頁であるが、見出しの「注」の下に割書で、以下のようにある。

*特に〔訳注〕と断りのない場合は原注である。
*原注のうち、われわれ日本人にとって蛇足と思われるものは省いた。

 この「注」は1頁20行で組み方もほぼ一致し、括弧類の処理の違いで若干のずれを生じている程度である。殆ど同文だが、若干書き換えられた箇所がある。以下、異同を挙げてみよう。
 まず、見出し語三六「龍宮」が三七「竜宮」や二二一二二七「井戸の主」の説明文から、本文でも「龍」をでは「竜」と表記を変えていることが分かる。
 また、これは一々指摘しないが「注」のルビが増えている。このルビの追加は、本文でも行われているものと思う。
 では若干注が増えている。
 「一三八 平家蟹……述べておいたが 〔訳注〕『骨董』中の一篇「平家蟹」。」は「耳なし芳一のはなし(The Story of Mimi-Nashi-Hōichi)」の冒頭部134頁5〜6行め138頁5〜6行めであるが、「平家蟹」は本書には訳出されていない。
 「二七二 偉大な思想家 ハーバート・スペンサーをさす。」これは〔訳注〕と断っていないが訳注ではないのか。原注ならに存在していてもおかしくない。なお、の本文(264頁)には「巨大な思想家」となっていて、注はない。
 「三五八 下谷」は新たに追加された〔訳注〕。
 「三七七 寅の刻 〔訳注〕午前四時。」の前に「三七七 丑の刻 〔訳注〕午前二時。」が追加されている。「丑の刻」にでは注を附していなかったのは、当時は「丑の刻参り」が常識であったからか。(以下続稿)