瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(34)

 2011年12月18日付(33)から随分経ってしまったが、ここで年末にメモして置いた、昭和27年の事故の新聞記事を紹介して置きたい。小池氏が参照している地元紙「南海タイムス」は、まだ見る機を得ないので、全国紙の縮刷版から拾って見る。
 まず「毎日新聞」第27475号・昭和27年11月19日(水曜日)夕刊(3)面10〜11段め、見出しは2段抜きで大きく「七名が生埋め」とあってその下に割書・ゴシック体で「八丈島ガケ崩れ」とある。

八丈島】十九日午前八時四十/分ごろ八丈島中之郷村長佐山塩間/で林道工事中突然幅三十㍍、長さ/百㍍に渡り土砂が崩壊し、仕事中/の監督中野郷村大■■二(42)人夫/山■満(26)中■■平(59)浅■■次/(66)日■■一(18)古■■宏(19)佐/■■■次郎(66)の七名が生埋めと/なった。現場には中之郷、樫立両村(以上10段め)消防団をはじめ全村民が出動、救/援作業を続けたが十一時四十五分/中■■平さんの死体を発見した。/全員絶望視されている。


 氏名は伏字にした。また年齢は漢数字で2桁めが右寄せ、1桁めが左寄せで小さく入っているが、再現できないので算用数字で代用した。「中野郷村」は誤植。
 長佐山(295.1m)は2011年12月14日付(31)に山頂の位置を特定している文献を示した。しかし現場は山腹のどこかということだから、これだけでは特定は出来ない。
 当時はテレビもなかったし、あったとしても現地から中継などという時代ではなかった。新聞の頁数も今のように多くなく、朝刊が8頁で夕刊が4頁だった。「絶望視」という予測通りになったため、続報はない。(以下続稿)