瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(36)

 「朝日新聞」は「毎日新聞」に比して締切が早かったものか、19日夕刊では被災者の数も確定値ではなかった。従って翌日の朝刊に続報が出ている。第23985号・昭和27年11月20日(木曜日)の(七)面13段めに大きく「五死体発掘」との見出しと「八丈島の土砂崩れ」との副題がある。

八丈島発】十九日朝八丈島中之/郷村長佐山塩間林道工事場で土砂/崩れのため生埋めとなった作業員/は七名とわかり、救援隊二百名が/出動、同日夕方までに人夫の佐■/■■次郎さん(66)浅■■次さん/(66)中■■平さん(39)山■満君(2/1)古■■宏君(19)の五死体を掘り/出したが、現場監督大■■二さん/(42)と人夫日■■一君(19)の二人/は絶望視されている。


 「朝日新聞」の記事はこれが最後である。中■■平さんの年齢が「毎日新聞」と違うが、異同については「南海タイムス」の記事を見た上で確認したい。
 第一報に見えた「アグネス台風」は第23971号・昭和27年11月6日(水曜日)夕刊(三)面9段めの「アグネス去る」なる記事によると、八丈島の南方を東へ通過している。「各地の雨量は伊豆大島三四〇㍉、屋久島三〇九㍉を最高に大阪一〇八㍉、名古屋四七㍉、東京六五㍉のかなりの雨を降らした」とあって、まずこれが原因として想起されたものらしい。2週間前の台風ではあるが、朝刊(八)面「東京版」に載る(当時はテレビ欄はない)「天気」欄の予報図を見るに、台風の通過後も前線がしばしば八丈島付近に見え、確かに地盤の安定しない状態は続いていたようだ。