瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森鴎外『阿部一族』の文庫本(4)

岩波文庫31-005-6『阿部一族 他二篇』(4)

解説文中、作品の引用文については、今回の文庫改版に併せて改めた。
解説文中、年齢に関する指摘については、本文該当箇所にそれぞれ〔 〕で補記を示した。
以下は『鴎外歴史文学集』第二巻(藤田覚注釈、二〇〇〇年刊)に拠った。――編集部
 
注(一) 本文七頁および九頁参照。「興津弥五右衛門の遺書」で鴎外の依拠した資料/
 「興津又二郎覚書」の記事や死亡年から逆算すると、弥五右衛門の祖父の生年は永正/
 十七年になる。また、同じく依拠資料「細川家記」では弥五右衛門の殉死は五十四歳/
 の時とされているので、生年は文禄三年、豊前小倉行の折の年齢は八歳になる。
注(二) 本文七三頁参照。「阿部一族」での依拠資料「阿部茶事談」で「二十一歳」と/
 あるのに鴎外が従ったものか。本文六九頁では寛永十五年に十六歳としているので、/
 同十九年には二十歳の計算となる。


 この注を見るに、「興津弥五右衛門の遺書」は、鴎外の依拠資料に、斎藤氏の修正案の通りの記述が見出された訳で、本文の書き換えという問題はあるにしても、疑問箇所を宜しく訂正した、と評価出来る。
 しかしながら、「阿部一族」については、依拠資料には「二十一歳」とあって「十六歳」はないらしい。『鴎外歴史文学全集』で藤田氏がどう処理しているのか未見だが、しかしこの注はおかしい。「十六歳」の根拠がないのに「二十一歳」に「従ったものか」は変だ。むしろ、根拠のない「十六歳」の方を計算ミスと見なして「十七歳の計算になる」と修正するべきだろう。それでもやはり「十六歳」の方が正しいというのであれば、この小説の「本文」なぞではなく別の証拠を提示するべきである。これでは、斎藤氏の不適切な処理に無批判に引きずられてしまっているようにしか読めない。