瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

夏目伸六『父夏目漱石』(02)

ポケット文春533
 夏目伸六『父・夏目漱石ポケット文春533)』1964年1月20日初版発行・定価270円・文藝春秋新社・289頁。
 新書判だが少し横幅が長く、17.2×11.2cm。カバー表紙折返しの右下に縦組みで小さく「カバーデザイン・漱石全集初版本より」とある。カバー裏表紙折返しには何もない。
 初めて読んだとき、このポケット文春版が初刊本なのだと思い込んでいたのだが、読んでいるうちに疑問を覚えて確認してみるに、初刊でもなんでもないのであった。このことはポケット文春版の初版のカバー表紙の下部に横組みで「知られざる人間・漱石の面影を描いて/漱石研究家を刮目させた話題の名著」とあるから、どう考えてもこれは初刊ではないのである。そのことは、文春文庫版からにも書いてあったので、文春文庫314〜318頁の半藤一利「解説」に、以下のように初刊当時のことが回想されている。この「解説」の最後に(文藝春秋社員)との肩書きがある。

 この本の初版が文藝春秋新社から刊行されたのは、昭和三十一年十一月のことである。わた/くしは当時同社の出版部にいて、刊行まで若干の手伝いをした憶えがある。口絵写真をいれよ/うということになって、どうせなら漱石の写真の下で、ときまった。
漱石から美髯を取り払ったら、多分、伸六君のような、鼻緒のない駒下駄のような顔に、な(以上315頁)るのではないか」
 という獅子文六氏のサジェスチョンによる決定であったが、実際父親にそっくりの当の“伸/六君”は大いに照れて、
「おふくろのところに、おやじの写真の額がある。おふくろと一緒でもいいかい?」
 と、とうとう鏡子未亡人をひっぱりだすことになった。その撮影にカメラマンと同行したの/である。


 続いて、未亡人の初印象が述べられ、その「父親が早く死んだので、つい可哀そうになって、子供たちを甘やかして育ててしまったのが、いけませんでしたかね」という発言、帰りの車の中での著者の発言が紹介される。
 ポケット文春版の口絵写真「著者と故母堂昭和31年写す)」はこのとき撮影されたものだが、初刊本の口絵写真とは違うものが使われている。文春文庫版には写真は掲載されていない。
 カバー表紙の左肩に短冊形(7.5×1.0cm)に書名、その下に朱色や緑青色に紛れるように著者名、下部2.4cmが白地の帯状になっていてここに先に引いた横組み2行の紹介文があり、右上に「pb」マークがある。カバー背表紙は上部に書名、中央やや下に著者名、下部に朱色地に「pb」マークと「533」の番号。カバー裏表紙の右上隅に横長の黒地の短冊形(0.9×3.7cm)に白抜きゴシック体「ポケット文春533」、その下に上下と左の3辺に太枠(12.8×10.2cm)があり、枠内右上に、その左下脇に「猫の墓の前に立つ著者」とのキャプションのある白黒写真、これは後述するつもりだが『猫の墓』の表紙写真を撮影した際に写したもののうちの1枚。枠内の下半分は縦書き16行(1行19字)の紹介文で、2段落から成る。前半9行のうち5行半は「「父の思い出」が新聞に発表された時の世間の反響について、再び書いた「父の半面」という文章の一節」。後半7行はこれを踏まえて、漱石研究家による神格化(とは、ここでは言っていないが)に反対して、著者は厳しい眼で家族にとっての客観的事実を書いたのだ、とまとめている。
 ポケット文春版の見返しは漱石の印影15顆。口絵写真については既に述べた。扉(1頁、頁付なし)は本文共紙で左上に書名、左下に著者名、右下に小さく版元名が入る。獅子文六「序」3〜5頁、日付等なし、本字歴史的仮名遣い。この「序」も文春文庫版には採られていない。「目次」6〜7頁(頁付なし)。本文は9〜289頁。
 文春文庫版、扉(1頁)は文春文庫共通のもの。「目次」3〜4頁、中扉(5頁)は書名のみ。中扉裏(6頁)は「編集部註」で既に引用した。ここまで頁付がない。本文は7〜313頁。
 ともに1頁18行、1行42字。それで頁数が違うのは文春文庫版の「編集部註」にあるように、漢字を仮名に開いたり、語注を附したりしたためで、本文の1頁めで拾ってみるに「色々・事・事・殆ど・居なかった・居ない・併し・段々・様に・様に・様な・度に・様な」が、文春文庫版では平仮名に変えられている。(以下続稿)