瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

夏目伸六『父夏目漱石』(04)

①初刊本
 四六判並製本。私は改装本しか見ていないが、装幀ははてなキーワード夏目伸六」項に貼られているYahooオークションのページで確認出来る。すなわち、初刊本のカバーと本体表紙、それからポケット文春版のカバー表紙を見ることが出来る。
 見返しはポケット文春版と同じ漱石の印影15顆。扉は「吾輩は猫である」の総ルビの冒頭部を灰色で刷った上に、左上に縦組みで「夏目伸六父・夏目漱石」、右下に横組みで「文藝春秋新社」とある。
 口絵については既に触れたがアート紙に白黒「著者と母堂(鏡子未亡人)」。獅子文六「序」(1〜3頁、頁付なし)1頁14行、1行40字。最後に「昭和三十一年秋  大磯にて/獅子文六」とあるが、時と所はでは省略されている。「目次」(4〜6頁、頁付なし)、7頁(頁付なし)中扉で大きく書名、9頁から本文で258頁まで。最後に「昭和三十一年十一月」付の夏目伸六「あとがき」が3頁分(頁付なし)。
 本文は本字歴史的仮名遣い、1頁16行、1行43字。章題から6行空白で本文。太字ポケット文春版に採られていないもの。「父夏目漱石」9〜23頁、「父の日記と子供達」24〜34頁、「面會日」35〜44頁、「盗人の糞」45〜49頁、「父と中村是公さん」50〜56頁、「「鳩の目」先生」57〜70頁、「」71〜78頁、「「文鳥」」79〜83頁、「父の一喝」84〜89頁、「父の命名」90〜99頁、「父の書齋*1」100〜102頁、「父の半面」103〜105頁、「一葉と漱石の原稿料」106〜119頁、「「草枕」の出來る迄」120〜137頁、「英語嫌ひの漱石」138〜152頁、「父の手紙と森田さん」153〜185頁、「「道草」の頃」186〜192頁、「漱石トルストイ」193〜198頁、「博士嫌ひと夏目博士」199〜216頁、「父の書畫」217〜236頁、「母の「漱石の思ひ出」」237〜243頁、「漱石の母とその里」244〜258頁。
 このうち「母の「漱石の思ひ出」」の末尾(243頁)にはやや小さい活字で以下の注記がある。

 (この一文は、先年、母の「漱石の思ひ出」が、角川書店から文庫版として出版された時、請はれ/て書いた解説であるから、一應その點を此處に御ことわりしておきたい)

とある。今、夏目鏡子/松岡譲 筆録『漱石の思い出(角川文庫740)』(昭和四十一年三月二十日初版発行*2・昭和四十五年一月三十日九版発行・昭和五十七年四月三十日改版十七版発行・定価460円・角川書店・431頁)425〜431頁、夏目伸六「解説」と比較してみるに、本書では242頁5行め「……再三ではない。」で改行して、次の6〜8行めの1段落は以下のようになっている。

 私自身、曾て父から、手に持つたステッキで打つ、蹴る、なぐるの凄じい打擲を受けた覺えが/ある。まだ小學校へもあがらぬ子供に對してさへ、こんな振舞を敢てする父が、母に對してどん/な態度を以て臨んだかは、容易に想像がつくのである。


 ここのところ角川文庫版『漱石の思い出』では、429頁14行め「ではない。」からそのまま続けて「私がまだ小学へもあがらぬ小さいころのことである。……」と具体的に回想され、430頁6〜9行め「……。が、その時私の体は、アッという間に土間の上にたたきつけられていた。その私を、手に/持ったステッキで打つ、…(同文)…、容易に想像がつくのである。」となっている。すなわち、本書では暴行に至るまでの経緯を省略して「私自身、曾て父から、」で済ませている訳だが、これは本書巻頭の「父夏目漱石」16〜18頁(文春文庫版13〜15頁)と重複するので、本書収録に際して省いたのであろう。
 なお、この一件については、「漱石全集月報」第十八號(昭和四年八月・岩波書店・8頁)4頁下〜8頁上に掲載された、漱石の長女松岡筆子(1899.5.31〜1989.7.7)の回想「父漱石」にも、それらしい記述が見える*3。この文章、末尾に「……。今はたゞ舊稿に筆を入れて見たに過ぎません。」とあるから、これより前に発表したものに加筆したものらしい。ここにも「不機嫌の日」は「全く父を狂人だと思ひ」、「ひどい亂暴の絶頂などには、子供心にこのまゝ死んでくれたら」という「氣持」になったと回想され(5頁下)、「不機嫌の時の出來事」(6頁下)として以下のように述べている(7頁上)。

 父はかなり儉約でした。ある時弟たちが空氣銃を買つて下さいと申しま/したけれども、それが生憎上等なものかで、父が中々承知してくれません。/それでそれなりになつてしまひましたところ、其の後弟たちを連れて上野/あたりに散歩に出かけました。すると山下の大道に空氣銃で人形をころが/したり達磨を落したりする遊び場がありました。父は何を思つたかあれを/やつて見ろと申します。けれども人の見てゐる前で、しかも大道のことで/すから上の弟は流石に尻込みをいたしました。と、今度は下の弟に打てと/命じるのださうでございます。これも勇氣が出ません。すると父は空氣銃/がほしいといふからせつかくうたせてやらうといふのにと申して、大變な/見幕で怒つたさうで、この時ばかりは腕白な弟たちも全く色を失つたとい/ふことでございます。


 本書では場所は示されていないが、この長女の回想では「上野」の「山下の大道」と具体的である。但しきっかけは本書では漱石が命じたのではなくて長男の純一(1907.6.5〜1999.2.21)が「撃ちたいとせがんだ」ので、景品を撃ち落とす射的ではなく「電気仕掛」で動く「軍艦の射的場」で、場所も大道ではなく「神社の境内」である。空気銃も本書には出て来ない。尻込みした順序は同じだが、怒られたのは次男の著者だけで、それも「色を失」うどころでない、ひどい暴行であったと本人は回想しているのだ。或いは、長女が配慮して「色を失つた」程度に止めたのか、それとも当事者ながら幼かったため記憶が曖昧になっていたのか。とにかく、参考までに紹介して置く。(以下続稿)

*1:「目次」は「父の書齊  九九」と誤る。

*2:昭和41年(1966)初版では本書よりも後になってしまうので、昭和20年代に本字旧仮名遣いで刊行されているはずである。昭和41年版は新字現代仮名遣いに改めたものであろう。

*3:漱石全集 月報〈昭和三年版/昭和十年版〉[漱石全集(昭和四十九年版)附録]』(昭和五十年三月十日發行・岩波書店・390頁)150〜154頁。